夏の大三角やペルセウス座流星群など、この時季の夜空には見どころがたくさん。美しい星は、いつの時代も人々を魅了してきました。そうした星と、京都との関わりとは。知れば、遠くの輝きに近づけるかも!
撮影/桂伸也(大将軍八神社)
「京都」や「鴨川」が星の名に
京都にちなんだ名前の小惑星
- Yoshidayama(吉田山)
- Kwasan(花山天文台)
- Seimei(安倍晴明)
- Teika(藤原定家)
- Kiyomori(平清盛) など
火星と木星の間を回る小惑星。その中に〝京都〟に関係する名前の星があります。
「『Kyoto』『Kamogawa』『Nijo』など多数存在します」と話すのは、星と京都の歴史との関係に詳しい、京都情報大学院大学教授・作花(さっか)一志さん。小惑星の発見者が、その星に名前を付けることができるといいます。
聞けば、作花さんにちなんだ「Sakka」という小惑星もあるとか。多くの小惑星を発見しているアマチュア天文家が命名したそうですよ。
安倍晴明と歴史を動かす天変
記者が作花さん、京都大学天文台天文普及プロジェクト室室長/京都情報大学院大学准教授・青木成一郎さん、星のソムリエ・梅本万視さんと待ち合わせをしたのは、安倍晴明ゆかりの晴明神社(上京区)。
平安時代、安倍晴明は陰陽師(おんみょうじ)の中の〝天文博士〟という役職を担当。天文現象を観測し、異変を天皇へ伝えるのが仕事でした。
「晴明は花山(かざん)天皇の退位を示す天変を見たといわれています。天変とは、木星のてんびん座α星への異常接近と、月ですばる星が隠される〝星食〟の二つが考えられますね」(作花さん)
花山天皇は出家のために元慶寺(現山科区)へ行く途中、晴明の屋敷前で「天変があった」という晴明の声を聞いたそう。
晴明の屋敷があったのは、現在の京都ブライトンホテル南側。当時は「土御門(つちみかど)大路」と呼ばれた上長者町通沿いです。「安倍家は後に『土御門家』を名乗ります。この一帯の地名は『土御門町』と、その名が残っています」と青木さん。
「晴明が天変を予知し天皇に奏上していれば、退位しない道を探れていたかも。実は、この退位は自分の孫を帝位に就けるための藤原兼家のたくらみでした。晴明は天変が起こることを知りながら天皇に伝えなかったのだとしたら、兼家のクーデターに加担していた可能性もあると思うのです」(作花さん)
ペルセウス座流星群や旧暦の七夕に合わせ夜空を眺めて
ところで、8月の夜空の注目ポイントはというと? 「8月12日(水)午後10時ごろはペルセウス座流星群が極大に。月が上がっているものの半月なので、空が暗い場所では最大で1時間に30個程度の流星が北東の高い空に見られると思います」と梅本さん。
「ちなみに、彗星(すいせい)がばらまく宇宙のちりが大気中で燃えたときの光が〝流星〟です」。ちりが美しい流星になるとは、なんだか不思議…。
「また、今年は8月25日(火)が旧暦の7月7日、つまり七夕に当たります」
昔の人が楽しんだ七夕に思いをはせて、この日の夜空を眺めてみるのもいいですね。
藤原定家の日記に〝超新星〟が登場
〝超新星〟というキラキラした名前。そんな星が、平安時代末期~鎌倉時代の歌人・藤原定家の日記「明月記」に登場します。
「超新星は、今まで見えなかったところに突如輝きだす星のこと。望遠鏡がない時代の出現記録は世界に7件しかなく、『明月記』は「客星(かくせい)」として7件中3件が記載された、貴重な資料です。定家が見たのではなく、陰陽師の記録が引用されています」(作花さん)
3件の中で最も有名なのが、1054(天喜2)年に出現した超新星。「夜明け前の東山の上に明るく輝いたそう。この記録は20世紀にアマチュア天文家・射場保昭によって世界に紹介されました。すると、18世紀に見つかっていた『かに星雲』が、その超新星の後の姿だと明らかになったのです」(作花さん)
この発見により、超新星爆発の研究も進展。青木さんは「超新星爆発のメカニズムは解明されつつあります。超新星爆発は〝星の死〟。太陽よりも8倍以上の重さがある星が寿命を迎え爆発するとき、明るく輝きます」と話します。
「現在観測できる『かに星雲』は、超新星爆発の残骸で、さまざまな元素が含まれます。元素は次の世代の星が生まれる材料に。〝星の死〟が新しい星の誕生につながっているのです」(青木さん)
ブライアン・メイさんも来訪 市民と天文学をつなぐ花山天文台
歴史は90年以上。京都大学大学院理学研究科附属花山(かざん)天文台は〝アマチュア天文学の発祥の地〟として知られる場所です。
「初代台長・山本一清先生が熱心に天文学を広めました。今も当天文台では市民向けの観望会などを開催しています」とは、前台長で京都大学名誉教授の柴田一成さん。
「当天文台での観測による世界的な成果も。例えば、第3代台長・宮本正太郎先生は火星の偏東風を発見しました」。最近では、柴田さんたちの研究グループの観測により、太陽と似た星でスーパーフレア(※)が起こることも分かったといいます。
ですが、同天文台は現在、資金難で存続の危機に。そんな中、柴田さんの声掛けにより、今年1月にはイギリスのロックバンド「クイーン」のギタリストで天体物理学者のブライアン・メイさんの来訪が実現! 「『子どもたちのためにも天文台を残すべき。私も応援したい』と言ってくださいました」。望遠鏡の架台には、メイさん、そして毎年同天文台応援のために野外コンサートを開いている喜多郎さんからもメッセージが寄せられています。
8月からは存続のためのクラウドファンディングを実施。詳細は、同天文台ホームページ(https://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/)で確認を。
※太陽の大気で発生する爆発現象「フレア」よりも数百倍から数千倍の規模で起こる爆発
星をつかさどる80体の神像や日本最古級の天球儀
厳しい表情、やわらかな顔―。それぞれに面ざしが異なる80体の神像に囲まれると、身が引き締まるよう。
平安京造営の際、方位の厄災から都を守るために星神・大将軍神を祭ったことを起源とする大将軍八神社。その方徳殿(宝物庫)に、星をつかさどる神像「立体星曼荼羅(まんだら)」があります。
並んだ神像は、密教や陰陽道の宇宙観を示す「星曼荼羅」の世界を表現。同社の生嶌康之さんによると、「正面奥の『武装男神像』は北極星を、その前列の『束帯神像』は北斗七星を表しています」とのこと。
2階の展示室で、目を引いたのは、地球儀に似た形をした展示物。
「これは『天球儀』。映画化もされた小説『天地明察』(※)で知られる、江戸時代の天文暦学者・渋川春海が製作した日本最古級のものなんです」
球面に表された星と星座の数は、1763個、361座。現代で知られている星座とは形や名前が違いますが、それは中国伝来の星座だから。「式部」「中務」など、渋川春海が日本名を付けた星座もあるので、探してみて。
方徳殿の見学は通常開館日(5月1日~5日、11月1日~5日)以外は予約制。大将軍八神社(上京区一条通御前西入ル)=TEL:075(461)0694=へ電話を。拝観料は一般500円、中学生~大学生300円。
※「天地明察」(著/冲方丁、角川文庫)
(2020年8月1日号より)
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