まもなくバレンタインデー。今回は〝京都〟を切り口にして、チョコレートをクローズアップしました。アーティストが語る魅力や、歴史、新たな動きなどを知れば、チョコレート愛も深まりそう。
Kitri(キトリ)にインタビュー
京都市在住。2019年、作曲家・アーティストの大橋トリオさんによるプロデュースでメジャーデビュー。2021年11月、テレビアニメ「古見さんは、コミュ症です。」(テレビ東京)のエンディング主題歌「ヒカレイノチ」を発売。α-STATION「Kitristime」ではDJを担当。
「二人ともチョコレートが大好き!」と話す「Kitri」。姉のMona(モナ)さんと妹のHina(ヒナ)さんによる、京都市在住のピアノ連弾ボーカルユニットです。チョコレートは音楽制作を中心とした二人の日々に潤いを与えているようで…。京都の店や自身の音楽との関係など、〝好き〟の気持ちがあふれるトークをどうぞ!
※発言者名は敬称略
作曲・作詞の息抜きに、大好きな一粒を
Mona 常日頃、作曲や作詞をする中で、よくお茶と一粒のチョコレートで息抜きしています。食べすぎてしまいそうにもなるけれど…(笑)。
Hina 疲れを癒やしてくれるんですよね。私はシンプルでパキッと割れるタイプの、ビターなチョコレートが好き。
Mona 私は生チョコが好きですね。この前飲んだチョコレートティーも印象的でした。香りがとても強くて、これも楽しみ方の一つだなと。
―京都の店のチョコレートはいかがですか。
Mona 東山に特別なときに行くチョコレート店があります。塩気、甘みが混ざった一言では表せない味、一粒ずつの美しいビジュアルにテンションが上がります!
Hina 差し入れでいただいておいしかったのが、宇治のお茶の店の抹茶黒蜜チョコレート。抹茶の風味と甘さのバランスがよくて。京都にはおまんじゅうにチョコレートが入っているなど、和菓子とコラボした商品も多いですよね。
Mona 海外発のチョコレート店もたくさん。外国の人にも知られている街なので、日本に出店する際は〝京都に〟ということに意味があるのかなと思います。
二人ならではの音楽で表現された甘さと苦み
―音楽に関わる話も何かありますか。
Mona 通っていたピアノ教室に毎回お茶タイムがあったんです。よく先生が出してくださったのがチョコレート。練習不足で不安なときも、ほっとしてからレッスンを受けられました。
Hina 初ライブでスタッフさんにチョコレートを渡したのが思い出に残っています。当時はスタッフさんに対しても緊張していましたが、「おいしい!」との言葉で気持ちがほぐれました。
―チョコレートにまつわる曲もカバーしていますね。
Mona アルバム「Re:cover」に収録している「小さな瞳」です。スタッフさんが提案してくれた曲で、リアルタイムでは知りませんでしたが、「チョコレートロッテ」のフレーズを聞いてピンときました。Kitriの世界観で表現してみたいと思い、カバーをすることに。
Hina チョコレート一つで「君」のことを思い出したりと夢が詰まった歌詞もすてきです!
―チョコレートを食べながら聞いてほしいオリジナル曲は?
Hina アルバム「Kitrist」内の「Akari」は甘さ、苦さがありチョコレートにぴったりの曲です。
Mona ダークな雰囲気の中に流れるようなピアノの音が入る、「ヒカレイノチ」のカップリング曲「シンパシー」もマッチするんじゃないかなと思います。
―最後に、お二人にとってのチョコレートの魅力を教えてください。
Hina いろいろなパッケージ・味のチョコレートを、コーヒーやお茶とどう組み合わせるか。そんな人それぞれの楽しみ方ができるのがいいところだなと感じます。
Mona 食べているときは嫌なことも忘れられます。口に入れると溶けてなくなるけれど、幸福感は残してくれる。私にとって大好きな、〝幸せをくれるもの〟ですね。
江戸・明治期の文献から知るチョコレート
異国の〝薬〟「しょくらとを」
「オランダ人が持ってきた腎薬」。そんな、今とはかけ離れたイメージでチョコレートが紹介されているのが、江戸時代の「長崎聞見録」(1800年刊)。京都の蘭方医・廣川獬(ひろかわかい)が、長崎滞在中に見聞きしたことを書きまとめた書物です。
「京都府立京都学・歴彩館」で「長崎聞見録」を見せてもらうと…、全5巻の内容はバラエティー豊か。植物、動物、名所など146の項目が並ぶ中、「しょくらとを」、つまりチョコレートのページもありました。
冒頭の「腎薬」の後には「形は獣の角のよう」だと説明。「色は生薬の阿仙(あせん)薬に似ている。味は淡泊。作り方ははっきりとは分からない」と続きます。
その服用方法は「熱湯にチョコレートを約1cm削り入れて、卵1個と砂糖を少し加え、茶せんでお茶をたてるように混ぜると泡が出る。これを服用する」とのことで、まるでお菓子作りのような工程。珍しい異国の薬として、廣川獬が書き留めたくなったのもうなずけますね。
このように、当時は飲む物だったチョコレート。その後、1847年にイギリスで固形チョコレートが発明されます。
岩倉使節団がパリで味わった「極上品の菓子」
日本で〝チョコレートを食べた〟と記録されているのは、西洋文化を学ぼうと明治政府が派遣した「岩倉使節団」が初めて。京都の公家出身の岩倉具視を〝特命全権大使〟とし、107人が約2年間にわたりヨーロッパなどの各国を回りました。
その様子が書かれたのが「特命全権大使米欧回覧実記」(1878年刊)。これによると、1873(明治6)年、一行はパリのチョコレート工場へ。チョコレートは「フランス名産の菓子」であり、「工場でカカオ豆を粉末にして砂糖と合わせて型に入れ、さまざまな形のものを作っている」と紹介されました。
「香りがよく、少し苦みがある」との感想の後には美しいパッケージにも触れ、「極上品の菓子」と絶賛! チョコレートに出合った驚きが伝わってきます。
その一方で「血液に滋養を与え、元気を補う効果がある」と、薬としての側面を感じさせる部分も。そのほか、原料の生産・輸出入などの話も詳しく記されています。
こうしてもたらされたチョコレートにまつわる知識。その後、明治期の間に日本でも輸入・製造が始まり、人々に愛されていくのです。
ラッカセイを植え、販路を考え、
大学生によるオリジナルチョコレートが販売中
ザクザクした食感、口に広がる甘さ…。大学生による新しいチョコレートが完成しました!
龍谷大学農学部では「持続的な食循環プロジェクト2021」としてチョコレートを開発。学生19人が昨年5月から活動してきました。取材時に集まったのは、3年生の小川晃導(あきみち)さん、北川晏菜(あんな)さん、塔原(とのはら)百花さん。
「食の循環や、6次産業化に興味があり参加。いろんな方に助けてもらいながら、栽培から販売までを経験できました」と小川さん。塔原さんは、「チョコレートに使ったのは大学の農場で栽培したラッカセイ『おおまさり』。ほとんどが千葉県で作られている品種ですが、今回西日本での栽培を試みました」と言います。
開発には日仏商事㈱のチョコレートブランド「CACHALOT」が協力。「キャラメリゼして中に入れたラッカセイ『おおまさり』の食感がポイントです」(塔原さん)。北川さんも「手作業で製造されているのも特徴。このチョコレートを通し、キャンパスがある滋賀県瀬田地域を京都の人にもPRしたいです」と話します。
「学科・学年をまたいで主体的に意見を交わしながら、活動に取り組んでいますね」と、コーディネーター教員の教授・山崎英恵さん。京都では「大垣書店 京都本店」(下京区)で販売中。2月7日(月)には龍谷大学深草キャンパス内「Café Ryukoku &」で学生による店頭販売が行われます。(中止になりました)
昭和30年、全国に〝バレンタイン祭〟を呼び掛け
「2月13日~15日を〝バレンタイン祭〟に」
「京都府洋菓子工業協同組合」が全国にそう呼び掛けたのは、1955(昭和30)年のこと。「当時は一部のチョコレート店が独自に展開していたくらいで、まだバレンタインデーは知られていませんでした」と、同組合理事長の高島義之さん。
「前年の1954年に『第13回全国菓子大博覧会』が京都の岡崎で開催されたため、会員店同士の連携が深まり呼び掛けにつながったのでは。1956年には、当組合がバレンタイン祭に参加したとの記録が残っています」
そのときのコンセプトは〝ハートのケーキを親しき友へ〟。チョコレートを好きな相手に渡す、というスタイルはその後に確立されていったようです。
「昭和30年代には、当組合内にチョコレートの普及を目指す『チェリークラブ』が結成。勉強のため東京に視察にも行ったそうですよ。新しいもの好きの気質や、和菓子に対抗する気持ちもあり、京都では各店がこだわった洋菓子を作り出しています。特に力が入るバレンタイン商品は、店ごとに個性豊か。今年も注目してもらえたらと思います」
(2022年2月5日号より)
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