いま、再びのお弁当

2021年5月28日 

リビング編集部

テイクアウトの需要が増え、改めて注目されている〝お弁当〟。ふたを開ければ…、京都における歴史や、最近の動きが続々と!今回は人々の心をときめかせ続ける〝お弁当〟に迫ります。

イラスト/今井有美 撮影/山㟢晃治(「太秦弁当村」「お辨當箱博物館」)

「〝弁当〟はもともと〝辨当〟〝便当〟とも書き、〝そなえて用いる〟という利便性が伴うことを意味する言葉。それがいつしか食に特化し、持ち運べて便利な〝弁当〟を指すようになりました」と教えてくれたのは、京都産業大学准教授の笹部昌利さん。

「江戸時代の兵学書で、戦国時代の武士について書かれた『雑兵物語』によると、下級武士は〝自弁〟つまり自分で食料を用意していました。その携帯食が腰兵糧(こしびょうろう)。たすき状にかけた『打飼袋(うちがいぶくろ)』という布袋の中に、米を保存食にした〝干飯(ほしいい)〟や〝炒米〟を入れ、みそを塗りこんだイモのつるを縄として腰に巻き、必要に応じて米と一緒に煮て食べていました。塩分チャージの意味もあったのでしょう。お弁当の原型といえますね」

一方、公家は花見などの行楽の際、提げ重箱などに詰めた料理を味わっていたとか。

「豊臣秀吉が開いた醍醐の花見でもお弁当が用意されたと思います。また、江戸時代初期に刊行された日本語ポルトガル語辞典『日葡辞書』には〝Bento〟の項目があり、文具箱に似た箱の引き出しに食べ物が入っている、と記されています」

こうしたお弁当の文化が、江戸時代には庶民にも広まっていくのです。

江戸時代以降は日常的に

江戸時代は出版産業が盛んになったことで、公家や武家の文化を町人が知るように。お弁当の調理法や包み方などの情報も伝わっていきました。

「観劇のときに食べる幕の内弁当が誕生。京都の富裕層には仕出し弁当が親しまれました。人々の行動距離も延び、お弁当は日常化します」

また、おにぎりについてはこんな記録も。

「『守貞謾稿(もりさだまんこう)』という書物には、〝京坂は俵形〟〝江戸は円形または三角〟と書かれています。形は地域によって違いがあったのかもしれません」

明治時代以降は、仕事場や学校といった家以外で昼食をとることが一般的に。

「大正時代にはパンが普及。サンドイッチをお弁当にすることも普通になりました。特に学生の街である京都には、パン店が定着しやすかったようです。今後のお弁当文化の変化も楽しみですね」

<教えてくれたのは>

京都産業大学 文化学部京都文化学科
准教授 笹部昌利さん


江戸時代の文化人が愛した四つ切りの箱

料理の種類や色みにより盛り付け場所は変わるそう。写真は松花堂庭園内の「京都 吉兆」で味わえる「松花堂弁当」

懐石料理が詰められた「松花堂弁当」のルーツは江戸時代初期に。石清水八幡宮にあった「瀧本坊」の住職・松花堂昭乗(しょうじょう)が好んだ四つ切りの箱が基になったのです。

「文化人であった昭乗は農家の四つ切りの種入れ箱をアレンジして、たばこ盆や絵の具箱にしていたそうです」とは、「松花堂庭園・美術館」の中村諭さん。その後、昭和初期に日本料理「吉兆」の創業者が昭乗愛用の四つ切り箱を見つけ、のちにお弁当箱として考案し、広まっていきました。

同館では、昭乗が使用した箱を模して作った「松花堂好四つ切塗箱」を所蔵(※)。「お弁当箱という限られた空間で工夫しながら料理を楽しむことは、柔軟な発想の持ち主だった昭乗と通じるように思います」

※時期により展示されていない場合もあり

●松花堂庭園・美術館
八幡市八幡女郎花43-1=TEL:075(981)0010 庭園・美術館共通券460円
https://shokado-garden-art-museum.jp/


蒔絵や螺鈿の装飾にうかがえる職人の技

珍しいという八角形の重箱が連なったお弁当箱。皿や酒器もセットに
お弁当箱約70点を展示。写真は花見の席のお弁当箱。そのほか一人旅用のものなども並びます

すてきなお弁当箱に入っていたら、料理のおいしさもひとしお。「半兵衛麩本店」の2階「お辨當(べんとう)箱博物館」には、蒔絵(まきえ)や螺鈿(らでん)などが施された江戸時代のお弁当箱が展示されています。

「公家や大名、商人が使っていたものです。蛍狩り、紅葉狩りなどに合わせ、職人が趣向を凝らして作ったようですね」とは、同店の玉置淳さん。

なかには将棋盤形、茶釜形、屋外で鍋ができるものなど、一風変わったお弁当箱も。当時の人にとって、外で料理を味わうのが特別な娯楽だったことが分かります。

●お辨當箱博物館
東山区問屋町通五条下ル上人町433=TEL:075(525)0008 入場無料
https://www.hanbey.co.jp/abouthanbey/museum/


現在の京都の町にも新たな動きが

〝ロケ弁〟や〝駅弁〟を中心に手掛ける弁当店「穂久彩」が、昨年5月に開業した「太秦弁当村」。撮影中止や観光客減少の逆風に立ち向かうため、「京の中華ハマムラ」や「浅井食堂」など複数の飲食店と共同でお弁当を販売することにしたのです。

「近隣に住んでいらっしゃる方が常連さんになってくれています。1人暮らしのご高齢者も多いですね」と、社長の林幸平さん。

「目指すは〝町の小さなデパ地下〟。今後もいろいろなお弁当を並べ、地域の人に喜んでもらいたいです」

医療従事者にエールを

料理人や生産者など、食に関する事業者が中心となり活動する一般社団法人「全日本・食学会」。食を通じて社会貢献を行っています。

「最前線で大変な仕事をしている医療従事者に、おいしいお弁当を届けたい」。そんな思いが一つになり、昨年は京都のほか、東京、大阪、北海道など全国8エリアの医療機関へ1万6000食以上のお弁当を無償で提供。

「コロナ禍で厳しい状況にありながらも、『料理を作れることがうれしい』と話す飲食店の方がたくさんいました」と、同会事務局のスタッフ。

「現在も引き続き支援を継続していますが、少しでも早く活動の必要がなくなることを願っています」

「全日本・食学会」に所属する店が協力。中には活動のため特別にお弁当を作った店も


話題のお弁当人

インスタグラムなどで話題の、京都在住の〝お弁当人〟。驚きや幸せを感じられる、手作り弁当を紹介してくれました。

梅田啓介さん
ゲーム会社デザイナーの傍ら、お弁当を芸術作品のように制作。「周囲の反応が楽しくて、どんどんエスカレート。ワクワクを詰め込んでいます」
https://www.instagram.com/umeda_bento/

春風べんとう

「黄色いのは薄焼き卵。こすことで均質になり、美しく作れます。その中身は、みんな大好き甘口チキンライス。冬と夏の間、一瞬で過ぎ去ってしまう春の空気をお弁当にしました」

肉の華べんとう

「ローストビーフで仕立てた、美しくもはかない大きなバラの花。お弁当の命は花のようにはかないけれど、一つ一つが心に残り、体の一部になって生き続けます」


yasu_k.khouseさん
高校生の娘2人にお弁当を作るサラリーマンパパ。「娘が中学生のときから毎朝、出勤前に愛情を込めて作っています。大変なときもありますが、楽しみながら続けています」
https://www.instagram.com/yasu_k.khouse/?hl=ja

なんちゃってカニ飯弁当

「カニカマフレークを使えば手軽にカニ飯風に。鶏肉のメンチカツはあっさりした味わい。ちくわのかき揚げ、キクラゲとエビの卵炒めなども詰めています」

タレかつ丼弁当

「新潟名物タレかつ丼をヒントにしたお弁当。休日に下ごしらえして冷凍保存しておいたかつを朝に揚げます。縦に細くカットして結んだちくわは唐揚げにしました」

鶏ひき肉と高野豆腐のヘルシーそぼろ丼弁当

「細かくした高野豆腐とひき肉を麺つゆで煮詰めてそぼろに。切り干し大根はドレッシングで味付け。エビかつははんぺんの味が効いているのでソースなしでOKです」

(2021年5月29日号より)