※花を咲かせて散らす大仕事を終えた桜。そんな葉桜に、お疲れ様と癒やすような甘雨が降ります。散っているはずの桜が、満開で咲いているイメージができますね
※ゆうべは見えていた星が今夜(7月6日)は雨で見えない。7日は大丈夫かなと心配するような歌です
※「車軸を流す」は大雨のこと。7月7日に、激しい雨が植物のソテツを打つように降っているイメージです
※まだ寒い時期に、やまない雨が容赦なく竹を切る人に降りそそぐ。それを見ているような状況でしょうか。雨のおかげで季節や情景が想像できます
※俳聖・松尾芭蕉の亡くなった後、追悼句会での作品です。二度三度読み返すことで芭蕉の面影が浮かぶような文を、雨のしぐれる月明かりで読んでいたのでしょう
※晴れているのに降る雨の中、公園にベビーカーだけがあり人はいない。雨宿りしているのか。なぜベビーカーだけ置いて行ったのか。現代の風景が目に浮かぶ、不思議な歌
※母親の時代には肘笠雨と言っていた、にわか雨。ここは降っているが西側はやんで虹が光っている。もうすぐ雨のやむことが分かる、明るい歌です
降る雨を美しく表現する、さまざまな日本語。その背景には何があるのか、東京医科歯科大学 教養部 文学分野教授の木谷真紀子さんに聞きました。
「雨を表す日本語は、文化や故事が元になっていることが多いんです。日本は雨が多いですよね。雨をうっとうしく感じてしまうからこそ、名前をつけて楽しんだり、一日限定の言葉で季節を感じたり。言葉で気持ちを切り替えて雨をいとおしく慈しみ、楽しめるようにしたのではないでしょうか。このように、雨を好意的にとらえたい文化や歴史が、言葉を作ってきたのだと思います」
木谷さんは、「雨の違いを感じる文化も日本ならでは」と言います。
「『ざーざー』『ぽつぽつ』というオノマトペ(擬声語、擬態語)もおもしろいですが、音のない『しとしと』も感覚的に理解できるのは、心や時間にゆとりがあるからこそ。またその音を感じることで心や時間にゆとりを持とうとしたのでしょう。
正月三が日に降る雨や雪をさす『おさがり』や、雷を伴うにわか雨の『神立(かんだち)』など、空に神様がいるような感覚も独特。
季節や降り方によって変わる雨の言葉。今降っている雨にいろいろな名前が付いていると思えば、憂鬱(ゆううつ)に思われがちな雨が違って見えますね」
木谷真紀子さん
東京医科歯科大学
教養部文学分野 教授
同志社大学 日本語・日本文化教育センター 嘱託講師
専門は日本近代文学、三島由紀夫研究。「好きな雨の言葉は〝洗車雨〟です。1年に1回の特別さや、雨に物語を見いだしたことがすてき」
雨は、古くから和歌にも愛されてきた題材だそう。
「和歌には、花、月、ウグイスなど決まりきった歌がありますが、季節やタイミングが限定的であることが多いです」と林さん。
「ですが雨はとても日常的。特別につくられた和歌の世界で、生活に触れている身近な自然です。中でも鎌倉時代、伏見天皇の皇后にあたる永福門院子(しょうし)は、雨の歌を多く残しています。(下記も)自然を観察し、そこに思いを投影した永福門院子らしい歌です」
※時雨の後は月の光もぬれて見える。雨で洗われ空気が澄んでいる様子、現代人でもわかる感覚ですよね。雨が肯定的に捉えられています
林和清さん
歌人、現代歌人集会理事長
リビングカルチャー倶楽部講師
和歌や歌人に関する講座を多数実施。「古くは万葉集や古今和歌集、新古今和歌集にも雨が印象的な作品が残されています」