京都産業大学日本文化研究所上席特別客員研究員の小嶋一郎さん。「ハモと八坂神社のご祭神である素戔嗚尊(スサノヲノミコト)のイメージは〝強い〟という共通点があるようです」
では、京都の人々はいつごろからハモを食べていたのでしょう。京都産業大学日本文化研究所上席特別客員研究員の小嶋一郎さんに聞きました。
「瀬戸内と京都の流通が確立した平安時代初期から中期には、瀬戸内海産のハモが運ばれてきていたと思います。しかし、骨切りの技術は、そのころまだありません。すり身にして食べていたのでしょう。細川幽斎(ゆうさい)・忠興(ただおき)親子の時代、細川氏の家臣が、骨切りの技術を確立した説があります。そうしますと、骨切りをしたハモの料理が広まったのは、桃山から江戸初期にかけてだと考えられます」
祇園祭が「鱧祭」といわれるようになった背景は?
「世の中が安定すると、文化は飛躍的に発展します。新しいものが現れたり派手になったり、祭りに特徴をつけたり。祇園祭とハモが結び付いたのも、そういう発展の形ではないかと思います。それに、祇園祭は疫病を除くのが目的。昔は夏に疫病や伝染病がはやりましたが、特効薬はありません。滋養をつけることが大切なんです。そこで生命力が強いハモを食べようとなったのでは。ハモは骨ごと食べますし、栄養も豊富です」。スタミナ対策という側面もありそうですね。
フリーライターの長友麻希子さん。「百珍物シリーズで豆腐や卵と並んでハモが扱われていたことから、それだけ身近な食材だったと思われます」
「現在、ハモはいろいろな場所で取れますが、消費地は京都か大阪がほぼメインです」とは、食文化に詳しいフリーライターの長友麻希子さん。
ハモがいつから食べられていたかについては、「1643年に出版され、料理専門書として最も古いといわれる『料理物語』にもハモは出てきます。このころには食べられていたのでしょう」。
そう言って見せてくれたのは、江戸時代に出された料理本の翻刻本(過去に印刷されたものをもとにして出版した複製本)。
「百珍物シリーズといって、豆腐や卵といった食材ごとに100種以上の料理が紹介されています。その中に『海鰻(はむ)百珍』(※)もあるんです」
“海鰻”とはハモのこと。本には骨切りの仕方や、現在でいえばわん物に相当する料理などの作り方が紹介されています。バラエティーに富んだハモ料理、江戸時代の人々のグルメぶりがうかがえます。
「沿岸部なら新鮮な魚を簡単に食べることができますが、京都はそうはいきません。でも京都は都会で、いろいろなものが集まってきます。それをよりおいしく食べようと、料理が発展していったのでしょう」
※1795年出版
京都では夏のごちそうであるハモ。では、ほかの地域ではどの程度食べられているのでしょうか。リビングネットワークの各社編集部に聞いてみました
ハモといえば、落としを梅肉でという食べ方が定番ですね。でも、ちょっと違った料理にも挑戦。スーパーで買ってきたハモの落としでできる一品を2人の料理人に教えてもらいました。
京料理舞扇 店主 足立尚隆さん
「しば漬けはタルタルソースに混ぜずに加えると味のアクセントになります」
①
新タマネギをみじん切りにして、塩ひとつまみ(分量外)で塩もみし、水分を絞る
②
卵は固めのゆで卵に
③
❷を白身と黄身に分け、白身はみじん切りに、黄身はつぶす
④
タルタルソースを作る。ボウルにマヨネーズ、ピクルス、ラッキョウ、❶❸を入れて混ぜ合わせる
⑤
❹を白こしょうと塩で味をととのえ、レモン汁を混ぜる
⑥
ハモの落としに薄力粉、溶き卵、パン粉の順に衣をつけ、175~180度の油でキツネ色になるまで揚げる
⑦
トーストしたパンにマスタードを塗り、好みの野菜、❺と❻、しば漬けを挟む
我逢人 かっぱ 店長・川端康之さん
「ハモは皮ごと使うので、裏ごしをしたほうが見た目も美しく、食感も滑らかになります」
①
ハモを包丁で軽くたたき、すり身と一緒にペースト状になるまでフードプロセッサーにかける
②
❶にすりおろしたヤマトイモ、卵白を入れてさらに混ぜ合わせる
③
塩ひとつまみ、薄口しょうゆ、酒、みりん各2~3滴(いずれも分量外)を❷に入れ、さらに混ぜ合わせる
④
❸を裏ごしし、4等分に分け、団子状に丸める
⑤
❹を蒸し器で10分蒸す
⑥
だし汁を鍋に入れ、中火にかけてふつふつと沸いてきたら残りのあんの調味料を入れ、水溶き片栗粉(分量外)でトロミをつける
⑦
❺を一つずつ器に盛り付け、❻をかける。下ゆでして輪切りにしたオクラやカットしたミツバをあしらい、梅肉、おろしわさびを添える