取材当日、「今日も太陽みたいに輝いているなあ」と長原慶子さん。何のことかと尋ねると「先生は何というか…、この通り当時から髪が薄くて。でもそれで生徒がいじっても『チャームポイントや』って笑い飛ばすんです」と長原さんが言うと、すかさず「そんなことは怒っても仕方ないもんな。『くしがいらんから便利やで』『先生に髪生えてたらモテすぎて困るからな』とか言ってました。でもほんまに悪いことをしたら怒る。こっちも真剣勝負ですからね」と、出水小学校で長原さんを教えていた山脇安三(やまわきやすみ)さん。
そこで、「よく怒られていたのは僕(笑)。当時は悪さばかりしていました」と名乗り出たのはクラスメートの横田賢一さん。「ときには泣きながら怒られたり、真剣に向き合ってくれているのが分かっていたからか、先生を嫌いになることは全くなかったです」と言います。
「事を憎んで人を憎まず。人は否定しない。子どもたちに対しては、やってもやりすぎることはないから、自分の最大限で向き合おうと思っていました。遠ざかる子はこちらから追いかける」と笑う山脇さん。
中学・高校に進んでからも先生に会いに行ったり、今でも自分の子どものことを相談に行く同級生がいたり、数年ごとに同窓会が開かれたりと交流が続きます。
「幹事をよくするのですが、『先生は来るん?』ってまずみんなに聞かれますね。悩み事があっても、先生に話したら明るく笑い飛ばしてくれる気がして、会いたくなるのかな」という長原さんの言葉に、横田さんもうなずいていました。
約30年前、宮田公美乃さんが桂高校の3年生だったときに美術の講師をしていた髙山啓史さんは、宮田さんいわく「自分の好きな道を突き進んでいて、常に少年みたいに楽しそう。ほかにいない存在で、周りの先生とちゃんとなじめているのかなって、生徒の方が心配になるくらい(笑)」。
宮田さんが大学に進んだ年、髙山さんは絵の勉強のために1年間、イタリアのローマへ。そのときに2人が交わしたのが約10通の手紙でした。
「当時はバブル全盛期で、みんなが似たような服を着て、踊っていました。私はこのまま周りに流されていいのかな、本当の自分って何やろうとモヤモヤ。それを手紙に書いたら、『自分らしく、思うようにしたらいい』って先生に言われました。それで、私は私のままでいいと思えたし、ボディコンもやめました」と宮田さん。「本当に好きなことならいいけれど、無理に染まる必要はないと思って」と言う髙山さんに、「今はそういう価値観の人も多いけれど、そのときは『こんな考え方の大人もいるんや』とびっくりでした。就職活動でもその言葉を胸に頑張ることができましたね」と宮田さんは当時を振り返ります。
髙山さんは今でも、生徒に相談されたら「やりたいようにやって、違ったと思ったらやめたらいいと言っています。自分がそうやって生きてきて、失敗することはあっても後悔したことはないから」と話すそう。そんな教えを受けて、宮田さんは自分の子どもたちに「思うように生きたらいい」と伝えているそう。