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忘れられない私の先生

みんなをひきつけるユーモアのある人柄

明るく笑い飛ばすだけではなく、泣いて怒ってくれることも
出水小学校/先生・山𦚰安三さん(69歳)/生徒・横田賢一さん(46歳)長原慶子さん(46歳)

「電器店に就職したときも、先生が買いに来てくれました」という長原さんに、「僕のとこにも」と横田さん。化粧品売り場で働く生徒に会いに行ったときは緊張したそうですよ
※現在、出水小学校は待賢小学校と統合して二条城北小学校に

取材当日、「今日も太陽みたいに輝いているなあ」と長原慶子さん。何のことかと尋ねると「先生は何というか…、この通り当時から髪が薄くて。でもそれで生徒がいじっても『チャームポイントや』って笑い飛ばすんです」と長原さんが言うと、すかさず「そんなことは怒っても仕方ないもんな。『くしがいらんから便利やで』『先生に髪生えてたらモテすぎて困るからな』とか言ってました。でもほんまに悪いことをしたら怒る。こっちも真剣勝負ですからね」と、出水小学校で長原さんを教えていた山脇安三(やまわきやすみ)さん。

そこで、「よく怒られていたのは僕(笑)。当時は悪さばかりしていました」と名乗り出たのはクラスメートの横田賢一さん。「ときには泣きながら怒られたり、真剣に向き合ってくれているのが分かっていたからか、先生を嫌いになることは全くなかったです」と言います。

「事を憎んで人を憎まず。人は否定しない。子どもたちに対しては、やってもやりすぎることはないから、自分の最大限で向き合おうと思っていました。遠ざかる子はこちらから追いかける」と笑う山脇さん。 中学・高校に進んでからも先生に会いに行ったり、今でも自分の子どものことを相談に行く同級生がいたり、数年ごとに同窓会が開かれたりと交流が続きます。

「幹事をよくするのですが、『先生は来るん?』ってまずみんなに聞かれますね。悩み事があっても、先生に話したら明るく笑い飛ばしてくれる気がして、会いたくなるのかな」という長原さんの言葉に、横田さんもうなずいていました。

こんな先生も

  • 今から40年ほど前、小学校5、6年生のときの担任の先生は自由で個性的な方。コーヒーとパイプタバコを持って授業をしたり、冷蔵庫の中にはマムシ酒が入っていて冗談で「飲むか?」と笑いかけてくださったり。放課後に先生がいる理科実験室に遊びに行くと、熱いコーヒーを入れてくださってそれが何ともおいしくてうれしかった。先生の不思議であたたかいキャラクターは忘れられません(KC・51歳)
  • 中学校のころ通っていた塾の塾長は生徒が楽しんで学習をすることを一番に考えてくださっていて、塾の送迎バスに生徒がペンキで絵を描いたことも。先生は「前からこんなんしてみたかってん」と言っていましたが、みんなが絵を描くことでそのバスに乗り通塾するのが楽しくなればと、考えてくれたのではないかと思っています。通常、勉強をするだけの場所である塾は、その先生のおかげで、当時の私にとっては中学校以上に楽しく大切な場所になったことを覚えています(NS・31歳)

背中を押してくれた一言

そのままでいいと思えた、「自分らしく」という言葉
出水小学校/先生・山𦚰安三さん(69歳)/生徒・横田賢一さん(46歳)長原慶子さん(46歳)

桂高校の美術室で。「作った作品は思い出せへんけど、先生といっぱい話したことは覚えてる(笑)」と宮田さん

宮田さんの刺激になっていたという、髙山さんのローマでの日常がつづられた手紙

宮田さんの刺激になっていたという、髙山さんのローマでの日常がつづられた手紙

約30年前、宮田公美乃さんが桂高校の3年生だったときに美術の講師をしていた髙山啓史さんは、宮田さんいわく「自分の好きな道を突き進んでいて、常に少年みたいに楽しそう。ほかにいない存在で、周りの先生とちゃんとなじめているのかなって、生徒の方が心配になるくらい(笑)」。

宮田さんが大学に進んだ年、髙山さんは絵の勉強のために1年間、イタリアのローマへ。そのときに2人が交わしたのが約10通の手紙でした。

「当時はバブル全盛期で、みんなが似たような服を着て、踊っていました。私はこのまま周りに流されていいのかな、本当の自分って何やろうとモヤモヤ。それを手紙に書いたら、『自分らしく、思うようにしたらいい』って先生に言われました。それで、私は私のままでいいと思えたし、ボディコンもやめました」と宮田さん。「本当に好きなことならいいけれど、無理に染まる必要はないと思って」と言う髙山さんに、「今はそういう価値観の人も多いけれど、そのときは『こんな考え方の大人もいるんや』とびっくりでした。就職活動でもその言葉を胸に頑張ることができましたね」と宮田さんは当時を振り返ります。

髙山さんは今でも、生徒に相談されたら「やりたいようにやって、違ったと思ったらやめたらいいと言っています。自分がそうやって生きてきて、失敗することはあっても後悔したことはないから」と話すそう。そんな教えを受けて、宮田さんは自分の子どもたちに「思うように生きたらいい」と伝えているそう。

こんな先生も

  • 高校時代の女子バレー部の顧問はいつも生徒に寄り添ってくれる先生でした。よく「先生は何もすごくない。『先』に『生』まれただけや。だから思っていることがあったら何でも言っていいで」と声をかけてくれました(TA・26歳)
  • 小学校の校長先生からの「20歳までは親にもらった顔だけど、それを過ぎたら顔は自分で作ったものになるから責任を持たなければいけない。いい顔の大人になるようがんばってください」との言葉。若すぎて意味は分かってなかったと思うけれど印象的な一言で覚えています(OM・41歳)
  • 中学3年生のころ、学習塾に通っていたときの先生の一言は「先生はだませるけれど、自分はだませないよ」。宿題や自主学習で「やっていないのにやった」と先生にうそをつくことができても、自分自身の学習能力はだませないということです。確かにその通りだと思いましたし、今でも心に残っています(NS・36歳)

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