町で目にするさまざまな数字。国道の番号や番地の標識のように何を表すかはっきりわかるものもあれば、なぜその数?と疑問に思うものもありますね。そこで、町で見つけた数字について、込められた意味や付けられた経緯を調査! “道” “電車”などのカテゴリー別に紹介します。
烏丸通で「二帖半敷町」という地名の標識を発見。…畳の部屋の大きさが地名に?
京都市歴史資料館の研究員・宇野日出生さんに尋ねると、「江戸時代の京都の郷土誌『京雀(きょうすずめ)』に、二帖半敷町の由来が書かれています」と教えてくれました。説は二つ。一つは「五条寺」という名の寺にまつわる話です。
「五条寺の住職が亡くなるとき、二人の弟子に寺が譲られました。“五じょう寺”を二つに分けて“二じょう半”。漢字が当てられ二帖半敷町になったのだといいます」
もう一つは、畳が“五帖”しか敷けない家を兄と弟で分けたという説。「その家の周辺を“二帖半敷町”と呼ぶようになったと記されています」
どちらの説も、“五じょう”がキーワードになっていました。
数字や文字が書かれた電柱のプレートを知っていますか。写真は六角通高倉東入ルで撮影。上が関西電力、下がNTT西日本の標識です。
関西電力広報室に聞いてみたところ、「作業員の目印となる電柱番号です。地名の一部を片仮名で記しています」との回答が。「ナカ」は中京区のことですね。
数字は、ある場所を起点に順に振られているので、写真は起点から241本目の電柱です。E1とは東に曲がった1本目の意味。ナカ241の次が直線に並ばず、東に曲がった場所に立つことを示しています。東西南北がE・W・S・Nで表示されているのです。
NTT西日本の番号も、作業員が電柱を識別するためのもの。六角通の「ロッカク」のように、エリアごとのグループで名前が付けられます。通信ケーブルが収容されるNTT西日本のビルから近い順に、グループごとにナンバリング。ロッカク40は、「ロッカク」エリアのうち、40番目にビルに近い電柱です。
では、後ろの「R1」は? NTT西日本広報室によると、Rは右、“Right”のことで、ロッカク40の電柱から右に曲がったところに立つ、1本目の電柱という意味だそう(“左右”は番号を振る方向に対する向き)。電柱番号も、各社で決め方があるのですね。
“ねじりまんぼ”は、地下鉄「蹴上」駅前を通る三条通から南禅寺へと続く蹴上インクラインの遺構。注目したのは、三条通に面したれんがの一つ。横向きに、“ソ”と漢数字の“二”が刻まれています。
「これは『琵琶湖疎水煉瓦(れんが)工場』で製造されたときに付けられた“責任印”です」と、赤れんが博物館(舞鶴市)の学芸員・西村航(わたる)さん。
「漢数字は工場で働く職人を示す番号。誰が作ったかわかるように、個人やグループごとに番号を付けていたんです。ちなみに、“ソ”は疏水の“疏”を表しています」
南禅寺の水路閣や疏水に架かる橋でも数字が確認されているとか。宝探し気分で、れんが造りの遺構を巡ってみては。
城陽市のJR「長池」駅の西側に立つ石碑。「京都 五里」「奈良 四里半」という漢数字が刻まれていました。
ここで記者が思い出したのが、城陽市の愛称“五里五里の里”。京都へ五里、奈良へ五里の場所に位置しているため、そう呼ばれていたような。ですが、この石碑だと奈良までは“四里半”です。
「これは宿場町だった長池につくられた道標。1928年に建立されました」とは、城陽市歴史民俗資料館の薄井ゆみこさん。
一里は約3・9km。JR「長池」駅・「奈良」駅間の直線距離は約18kmで“四里半”といえます。
「旅人は、昔から長池が京都と奈良の中間、“五里”の地点と認識。四里半もほぼ五里ということで、響きのいい“五里五里”の愛称が広まっていったのだと思います」