「先頭に4桁の数字を表示しています」。京都市営地下鉄の車両前へ案内してくれたのは、京都市交通局高速鉄道部高速車両課の林保文さん。
同地下鉄では先頭車両のほか、最後の車両、そして側面に車両番号が書かれています。
「千の位の数字は、烏丸線10系車両だと1、東西線50系車両だと5になっています。この車両は千の位が1なので烏丸線。下2桁は、車両の製造番号です」
残るは百の位。これには烏丸線と東西線で違いがあるとか。まずは東西線から聞きました。
「百の位が表すのは車種。『太秦天神川』駅に最も近い車両から1、2、3、4、5、6と、6両編成の車両に規則正しく振られています」
同じく6両編成の烏丸線も同様に、「竹田」駅に近い車両から1、2、3と続きます。法則通りだと、4両目は4となるはず。でも、実は4両目からは6、7、8と、数字がずれているのです。
「“1820”で考えると、百の位は8ですが『竹田』駅側からは6両目。烏丸線は現在6両編成ですが、将来8両編成になるときを想定して割り当てました。
これなら、3両目と4両目の間に2両増やし、それぞれ百の位を4、5と付けられます」
JR「京都」駅方面行きの電車が止まる、JR「西大路」駅のホーム。Y字形の柱のうちの1本をよ~く見てみると、塗られたペンキの下に何やら文字が。「60A 1913 Ⅶ」と読めますね。
「この柱は古いレールを再利用したものなんです」と、JR西日本・広報担当の塩野直子さん。言われてみると、なるほど、レールの形状です。
「“1913”はレールの製造年、ギリシャ数字の“Ⅶ”、つまり7は製造月を表しています。1913年7月につくられたレールということになります。“60A”については、残念ながら確かな情報がありませんでした」
柱が使われているのは1938年から。レールとしての役目を終えた後も、70年以上、駅で活躍しています。
先斗町通から延びる路地の入り口で、鳥と数字が書かれた看板を見かけた人もいるのでは。先斗町歌舞練場の南側から、四条通の北側のエリアに設置されたこの看板の数字、チェックするといくつか抜けているんです。
「数字は先斗町の路地番号。路地には、それぞれ番号が付けられています」と話すのは、先斗町まちづくり協議会の副会長・神戸啓さん。
「看板ができたのは40年近く前のこと。その当時活動していた、京の先斗町会という組織が設置したものだと考えられます。路地の隣の店が建て替わり、看板が付いていないところもあります」
記者が確認できた看板も10枚。実際の路地番号は2から32まであり、1、14、23、31は欠番です。
「建物でふさがれたりして路地がなくなり、番号が抜けた可能性があります。元から路地番号が付けられていない路地もあり、複雑なんです」
数字が抜けているのは、町の風景が変わった証拠なのですね。
中央改札口から入るとそこは“0番ホーム”。隣は2番ホームと、JR「京都」駅にはなぜか1番ホームがありません。
「社員は線路にも番号を付けています。その線路番号とホーム番号とを合わせるため、0番ホームができました」と、JR西日本の塩野さん。
1992年、当時の1番ホームを拡張し、当時の1番線路を廃止。2番線路がこのホームに発着することになり、ホームと線路の番号がそろわなくなったのです。
「そこで、当時の1番ホームの名前を0番ホームに変更。2番線路を0番線路、3番線路を1番線路というように線路番号を変え、ホーム番号と統一しました。1番線路は通過列車用なのでホームが不要。よって1番ホームがなく、2番ホーム以降の番号は変えずにそのまま使っています」
同駅には15~29番ホームもなく、30番台に山陰線が位置。山陰線が30番台になるように付けられたそうで、遊び心を感じます。
標識は山歩きの大切な目印。比叡山から叡電「二ノ瀬」駅までを巡る、京都一周トレイルの北山東部コースにも、1~46の標識が設置されています。
ところがこのコース、鞍馬寺山門付近の標識43までは問題なくたどれますが、その先をマップ通りに進んでも、標識44が見当たりません。次に見つけた標識は、叡電「二ノ瀬」駅手前の46。44、45はどこへ?
「44、45は設置されていないんです」と教えてくれたのは、京都市産業観光局観光MICE推進室の担当者。
「鞍馬街道は交通量の多い道。マップに載る正式なコースですが、よりよい道がないか検討を続けています。今後新コースを設定する可能性を考え、44、45番の標識は欠番としています」
43から46の行程は、車に注意しながら、マップ通り鞍馬街道を歩くのがおすすめだそうです。