1591年、豊臣秀吉が築いた防壁・御土居(おどい)。敵からの攻撃に備え、外側には堀を巡らせ、土を盛ったとりで(土塁)が造られました。北は鷹峯、南は九条通、東は鴨川、そして西は北野天満宮の西側を流れる紙屋川の辺りに沿って、京都の町をぐるりと囲んでいたといいます。
「東西の端は、それぞれ川を利用して堀が整備されました。紙屋川沿いには、堀の遺構である低地と、御土居跡周辺の住宅地とを結ぶ階段が多数あるんです」と梅林さん。そこで、御土居の北西部にあたる紙屋川沿いのエリアを北上し、階段を探してみることに。
スタート地点は北野天満宮の少し北。蘆山寺通と交わる紙屋川沿いの道を進むと、早速左手にある「衣笠公園」の南隣に階段(写真【1】)を見つけました。
「紙屋川に面して設置された階段です。以前はこの階段の一番下の段辺りまで、御土居の堀が広がっていました。今は川幅が狭くなって道ができています。階段を上がった先は御土居の外側にあたる住宅地。堀を狭めて公園や家、道を造ったため、階段が必要になったんです」
次は紙屋川沿いの道と、北大路通が交差するポイント。北大路通が上を走り、堀の部分がトンネルになっています。トンネルの両端には、北大路通に続く階段がありました(写真【2】)。「近代に入り、堀をまたぐようにして北大路通が開通。北大路通を見上げると、堀の深さを実感できますよ」