西国街道から西山方面へつながる大原野道。物集女街道を過ぎると、北へ上がる階段があります。
「この先にある桓武天皇皇后陵は、長岡京を造営した桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏(おとむろ)の御陵とされていました。階級制があったころは位が高い人ほど、家や墓を高台に造る傾向に。樫原断層によって古くから崖が形成されていたこの場所も、そうした目的に使われました」(梅林さん)
近年、御陵の周りに住宅が建設されたため、大原野道まで下りるこの階段がつけられました。
「京都府内で最も人口密度が高い市町村が向日市。京都や大阪に通う人に人気で、戦後、御陵がある山の斜面に住宅が立ち並ぶようになりました。階段は、人々が斜面に暮らす工夫なんです」