長い歴史を持つ老舗や長年親しまれてきた味、地域で伝えられてきた伝統芸能。先人の技術や思いを引き継ぎ、継承のバトンを受け取った人たちには、そこに至るまでに、さまざまなストーリーがありました。
銀閣寺近くにある和菓子店「日栄軒本舗」。通りに面して置かれたショーケースには、茶釜の形の「懐中しるこ」や、毎朝手作りする季節の生菓子が並びます。
今年の春、この店の3代目和菓子職人となったのは林日佐子さん(60歳)。それまでは考古学技師として、発掘調査や、博物館の学芸員をしていた経歴の持ち主です。
「子どものころから店の和菓子が大好き。小さいときから父の手伝いをしていて、ひととおりの製造の仕事はできるようになっていたんです」
そんな林さんが和菓子のほかにもうひとつ興味を抱いていたのが、考古学でした。「自分が一番やりたいことを仕事に」という両親の声に背中を押され、考古学技師の道を進むことに。そして60歳。定年を迎えた林さんは家業の和菓子店を継ぐことにします。
「発掘調査の仕事をしている時期も、両親が守ってきたものを引き継ぎたいという気持ちはあったので、両親が現役のうちに」と決意したのだそう。
現在は朝早くから父の良治さんと自宅近くの製造場でお菓子を作り、週に数日、店頭に立って販売をしています。
「和菓子職人としての父の感性の鋭さ、お客さんを引き付ける母の明るさに、一緒にやり始めてあらためて気が付きました。2人とも継いでほしいとは言っていなかったけれど、店が続くことを喜んでくれています」
「継ぎたいと言ったとき、最初は周りに反対されました。安定した仕事をやめて、廃業を考えている店をやるというんですから、そうなりますよね」と話すのは、日吉屋5代目当主の西堀耕太郎さん(41歳)。
日吉屋は160年以上の歴史を持つ、京和傘の製造・販売店です。和歌山県の新宮市役所に勤めていたころ、日吉屋の娘である妻と結婚をした西堀さん。
「最初に京和傘を見たとき、かっこいい、渋い!
こんなのを手で作っている人がいるんだと感動しました」
それ以来、京和傘に興味を持ち、傘作りを覚えるため、週末になると京都へと通っていたのだそう。当時、日吉屋は家族で京和傘の製造や洋傘の仕入れ・販売をほそぼそと続けていて、経営状態が良いとは言えなかったとか。「京和傘は注文があったときに作る程度でしたし、先代の義母の代で廃業すると言っていたんです」
そんな状況にありながら、結婚から5年後の2004年、京都に移り住み、日吉屋の5代目となった西堀さん。その原動力となったのが、京和傘に出あったときの感動でした。「同じように感じてくれる人がもっといるはず」と、まずはホームページでの販売に取り掛かりました。「京和傘のようなニッチな存在は、広く情報発信することで販路が広がると考えたんです」
これが軌道にのり、売り上げは回復。さらに京和傘の技術を使った照明も好評で、商業施設でも使われています。
「伝統とは、〝革新の連続〟のこと。お客さまが満足するように、形が変化しても良いのでは」と西堀さん。消える寸前だった伝統の技を輝かせた新しい発想。日吉屋の製品は今や世界十数カ国で使われています。