三条会商店街の靴下店の店頭に、土曜日と祝日に現れる「せいろ」。もくもくと湯気を上げるそのフタをあけると、ふっくら蒸し上がった「角煮包(ぱお)」が。これを作っているのは、増田商店の店主・増田善幸さん(52歳)です。
角煮包のルーツは、同店の隣にあった「富三油(とみゆ)」という中華総菜のお店。3年ほど前の閉店時に、増田さんがレシピを受け継ぎました。
作ってみないかと声をかけられたことは意外だったものの、「商店街のイベントで角煮包を蒸すのを手伝ったこともあったし、やってみようかと」。約4カ月、富三油で修業をし、店の奥を厨房(ちゅうぼう)に改装。2013年3月から角煮包、翌年からは同じく富三油の看板商品だった焼売の販売を始めました。
以来、木曜日は角煮の仕込み。金曜日にタマネギを炒めて、土曜日の朝から生地を作って具を包んで、お昼ごろに蒸すのが毎週のスケジュール。蒸しと販売を担当する妻の友紀さんは「靴下を見に来たついでに買ってくれる人や、必ず土曜日に来てくれる人もいるんですよ」とうれしそう。取材時に出会った男性客からは「富三油でも買っていた。味も同じだよ」との言葉も。
「これをやるときの条件は、富三油さんに1年に1回チェックしてもらうこと。今年も無事、〝大丈夫〟と言ってもらいました」と増田さん。
馬場(ばんば)麻紀さん(50歳)は、黒染めを専門に行う「馬場染工業」の5代目黒染め師。黒染めとは、着物の反物を黒く染めたり、古くなった着物を黒く染めかえること。3代目が開発、父である4代目が改良した〝秀明黒〟という黒染めがヒットし、子どものころ、工場はフル回転。
「家には黒い反物だらけ。真っ黒で何がいいんやろうって思っていました」
そんな馬場さんが選んだのは、洋服や傘に使う柄物を作るテキスタイルデザインの仕事。結婚を機に退職してからは、子育てをしながら馬場染工業でホームページの作成や小物の販売を行っていました。それからしばらくして、父が余命宣告を受けてしまいます。
「それでも私が継ぐとは思っていなかった」という馬場さんの心が変化したのは、父のある行動を目にしたとき。
「代々つぎ足してきた染料を、『ご先祖さん、すんません』と言いながら捨てようとしていたんです。それを見て思わず『私が継ぐ!』と声をかけました」
父亡きあと、テキスタイルデザインで培った知識を生かして、洋服の染め直しを始めると、各地から問い合わせがあり、今は同社の仕事の半分ほどを占めているそう。
「私にはたくさんの師匠がいるんです。先代から付き合いがあるベテランの職人さんや呉服店の人に、分からないことがあったら、どんどん聞きに行きます。そういうつながりも父が残してくれたもの。4代目にいつも守られている気がします」
右京区・清凉寺にある狂言堂。男性たちがドンッと床を踏み鳴らしたり、手足を大きく動かしたり。その横で、「もっと早く回らなあかん!」「間(ま)を大事に」という声が上がります。
これは、鎌倉時代から地元で継承されてきた無言劇「嵯峨大念仏狂言」の練習のひとコマ。1963年にいったん途絶えましたが、1976年に再開したこの狂言。地元の人を中心にボランティアで集まって構成されている「嵯峨大念仏狂言保存会」が毎週土曜日の夜、練習を続けています。冒頭のように、経験豊富なベテランが、若手に指導して、受け継がれてきたのです。
今年10月の公演では、若手メンバーの発案で、31年間上演されていなかった演目「夜討曽我(ようちそが)」が復活しました。
「演目が固定されてきていたため、新しいことをやろうと考えたんです。そこで、登場人物が比較的多い『夜討曽我』を上演することに。中学生から大学生の若手を含む13人が舞台に上がりました」と同会の浅野高行さん。当時撮影されていたビデオを参考に、出演経験者に話を聞くなどして半年間練習を重ねたそう。
「約25年前に始めた〝子ども狂言〟をきっかけに参加してくれる人もいます。後継者の育成が一番の問題なので、そんな子どもたちが残ってくれるような会にしたい」と同会会長の松井嘉伸さん。
「夜討曽我」は来年春の公演でも上演される予定です。