ここ何年かで河原町通には新店が増えてきていますね。その一方で、長年地元の人に愛されてきたお店も多数。この通りには、新旧の顔がそろっています。そこで、三条通~四条通間の店の人に河原町通の〝いま〟を語ってもらいました。店から店へ「ちょっと気になること」も質問。リレー形式で答えてもらいましたよ。
地下と1階で営業する喫茶店「六曜社」のオープンは昭和25年。現在の地下店マスター・奥野修さんが店で働き始めた1960年代後半は、フォークやロック音楽が流行した時代。
「河原町に本やレコードを買いに来た大学の先生や学生たちが多く店に来てくれました。携帯電話がない時代ですが、河原町通に、そして六曜社に行けば誰かいるだろうという感じで。当時、河原町通に喫茶店だけでも10軒以上はありましたし、話題の店が次々できたりして河原町通はハイカラな、おしゃれスポットでした」
1年ほど前からは、息子の薫平(くんぺい)さんが1階店のマスターに。「店も河原町通も、これからもサロンのような場所にしていきたいです」
昨年11月、河原町通に仲間入りした「Flying Tiger Copenhagen(フライングタイガーコペンハーゲン)京都河原町ストア」。
営業を開始してこの場所ならではの人の動きに気づいたと話すのは店長の上村隆之さん。「木屋町が近いので、夜にかけて人通りが増えますね。ですから、当初は午後8時閉店だったのですが午後9時に変更しました」
同ブランドの日本の店舗でも京都河原町ストアだけという特徴が3階にあるゲームバー「Spilbar(スピルバー)」。飲食ができるほか、卓球などで遊ぶこともできるそう。
天ぷらと京料理の店「美久仁(みくに)」は昭和11年創業。店主の諸井誠一(まこと)さんは河原町通の住人でもあるんです。
「このかいわいを走っていた路面電車の河原町線が廃止された昭和52年までは、もっとのんびりしていたね。個人経営の店が多く、子どものころは店の前で将棋をさしたりしていました」
そんなのどかな時代を経た今でも、大切にしたいことは変わらないと諸井さん。
「新しいお店ができることで若い人たちも集まるようになってきたのは喜ばしいこと。昔から京都には“町衆”のつながりがあって町を守ってきた。そういうご近所付き合い、人の輪を大切にして、河原町通を含め京都全体が良くなっていけばいいと思います」
明治39年創業の「佐々浪(ささなみ)薬局」。話を聞いた常務取締役の佐々浪喜直さんは東京出身で、河原町通に来たのは17年前のこと。
「初めてここへ来たときの第一印象は、とてもにぎわっている商店街だなということです」
薬のほか、化粧品も販売しており、長年通っているお客さんが多いそう。「若い人が多く集まる場所のわりに、うちには中高年のお客さんが多いんです。以前に比べたら通りを歩く年配の方が減ったように思います。若者も中高年も、みんなが買い物を楽しめるよう、店同士で協力して街を盛り上げていきたいです」
スウェーデンのファッションブランド「H&M」の京都店は、昨年11月にオープン。
同社の店舗のなかでは日本最多の7フロア、最大級の面積を持つ大型店です。店長の池内将史さんは大阪出身。オープンして、「河原町通を歩く人たちはトレンドに敏感な方が多い」と実感したそう。
また、「ここは地元の方、買い物客、旅行者などいろいろな人が行き交う通り。商店街の中に大型店もあれば昔ながらの店もあり、さまざまなお店が並ぶ、他にはない雰囲気を感じています」
「大正時代の地図を見ると、河原町通は細くて、ところどころ建物があるだけです」と教えてくれたのは、京都髙島屋顧問の米田庄太郎さん。「大正15年の電車の開通に伴って、河原町通の道幅が広げられました。当時は平屋や2階建ての小規模な商店が多かったようです」
烏丸松原で創業した髙島屋が、四条河原町に移転したのは昭和25年。何度か改装を重ね、平成18年に現在の姿になりました。
「百貨店は老若男女のお客さまが集まる場所。人を集め、地元にシャワー効果をもたらすことも役割だと思います。古いだけではなく、新しい息吹を感じられる通りになるとうれしいですね」