京都の各地には、はるか昔から言い伝えられてきた民話がたくさん。今年の夏休みは、そうした物語の舞台を訪ね、ロマンに触れてみませんか? 地元の民話に詳しく、それらを次世代に伝えていく活動をする人たちにおすすめの物語を聞きました。何げない風景にもすてきなストーリーがあったんですね。
自然豊かな丹後地方に残る民話の中でも、8世紀前半から編さんが始まった「丹後国風土記」に収められている「浦島伝説」は特に有名です。
「浦島伝説の主人公は、今は『浦島太郎』と呼ばれていますが、あれは室町時代以降に付いた名前」と、「丹後語り部の会」代表の久保善康さん。京丹後市網野町には、「丹後国風土記」の浦島伝説がアレンジされた形で地域に伝わっています。
「網野町に伝わる浦島伝説では、網野の海に浮かぶ小島『福島』が出てきます。嶋子はこの島で育ての親や乙姫さまと出会ったとされていますが、『丹後国風土記』にはそうした記述はありません」
わざわざ物語に付け加えるほど、昔の網野の人たちにとって特別な島だったのかもしれませんね。
また、網野町の浦島伝説にはオリジナルのラストシーンが。玉手箱を開け、老人になってしまった嶋子は、怒って自分の顔のしわをむしり取り、自宅近くのエノキの木に投げつけたため、その木の樹皮がしわだらけになった、というものです。嶋子のやるせなさが伝わりつつも、どこかユーモラス。
「その木は『しわ榎』と呼ばれ、銚子山古墳の近くに実在していました。数年前、風雪などで倒れ、現在は幹の部分しか残っていませんが、隣では若木が育っています」
丹後地方の山間部、京丹後市峰山町は「羽衣天女伝説」の舞台です。ある日、三寧衛門(さんねも)という狩人が磯砂(いさなご)山に出かけると、山の中腹にある女池(めいけ)で水浴びする天女たちの姿が。三寧衛門はその中の1人の羽衣を隠し、天に戻れなくなった天女と夫婦に…というお話。
物語の舞台の磯砂山は、地元では「聖なる山」として知られています。ふもとには、天女と三寧衛門の間に生まれた長女をまつった「乙女神社」があり、お参りすると美しい女の子を授かるといわれています。同神社近くの施設「天女の里」には、絵や紙人形で物語のあらすじを説明した展示もされているので、併せて訪れてみては(入館無料)。
乙女神社/北近畿タンゴ鉄道「峰山」駅からタクシーで約20分。天女の里/京丹後市峰山町鱒留1642、TEL:0772(62)7720
京都には珍しい地名や通り名が多くありますが、東西に延びる「蛸薬師通」もその一つ。なぜ「蛸」なのでしょう?
「私は子どものころから通り歌でなじんでいたせいか違和感は感じていませんでしたが、確かにユニークですね。由来は、蛸薬師新京極にある蛸薬師堂(永福寺)に伝わる『蛸薬師如来のご縁起』からきているんですよ」と「京ことばの会」代表の中島さよ子さん。
たこ・いぼなどをはじめ、さまざまな病気平癒に御利益があるといわれる蛸薬師堂。「最近は『体の中のできもの』ということで、がんの平癒祈願に来る人が増えました」と住職の星川勝恵さん。中には、善光のように親の回復を願う参拝者も多いのだとか。家族の健康を願う気持ちに時代の差はないのですね。