30cmほどの長さにカットした孟宗竹に、透かし彫りを施した行灯(あんどん)風の竹細工。山田光夫さんは、退職後すぐにこの竹細工の創作活動をはじめ、約5年間で40点近くを制作しています。
きっかけは、退職間際に、伏見・深草にある団体の作品展を鑑賞したことでした。「竹あかり」と名付けられたその作品に触発され、教室の受講を希望するも開講は半年後。「そんなに待てなくて(笑)、もともと工作が得意でしたから、見よう見まねで1つ作ってしまいました」。その後、教室にも在籍。
一方、以前からかかわっていた里山保全の活動で竹の伐採に取り組む山田さん。「使うあてのない孟宗竹がいっぱいあったので、何かできないかと思っていたんです」
こうして、好きな創作活動と、伐採した孟宗竹の再利用の一石二鳥が実現。作品は、孟宗竹を手頃な長さにカットし、表面を約5mmの厚さに削りだして、つるつるに磨き上げてから、ようやく細工に取り掛かります。絵柄は、絵はがきや旅行先で見た風景などを参考に。デザインナイフの刃先をしならせながら、細い線を掘り出していきます。固い竹の表面に、切り絵のような細かい線と透かしが表れ、その精巧さに驚かされます。
「働きづめだったので、定年後は思いっきり趣味だけを楽しみたいと思っていました。夢は、70歳ぐらいで個展を開催できればうれしいです」
「18年前、独立して自分のしたい仕事をしながら、パーキンソン病の母親、がんと糖尿病を患う父親の介護をしようと思ったんですが…甘かった」と寺松由美子さん。18年前といえば、パーキンソン病という病名すらほとんど知られておらず、介護保険制度もありませんでした。
寺松さんが会社を辞めてほどなく、父親が他界。母親を自宅介護しているけれど、「病気のことをよく知りませんでした」。
いろいろな方面を調べて、全国パーキンソン病友の会京都府支部の存在をキャッチ。会社員時代並みの行動力で、早速、会合に参加したのだとか。「そこで分かったのが、患者が相談できる場所が求められているということでした」
2005年、寺松さんは、友の会の後押しを受け、患者とその家族、パーキンソン病にかかわる人たちを支援するために、NPO法人を設立。月1回の交流サロンのほか、最近はメールや電話での相談も増加。「患者にとって一番つらいのが、体の状態を分かってもらえないこと。ここにきたら仲間がいる、話ができる相手がいると感じてもらっているようです」
そして、「3年前、母が亡くなり喪失感でいっぱいになったとき、この活動が私を支えてくれました。ここを私の終着点にしたいと思っています」。
※パーキンソン病とは、ふるえ、動作緩慢、小刻み歩行などを主な症状とする病気。日本における患者数は、人口10万人当たり100~150人いるといわれています
定年直前に、自然観察指導員の講習会を受講した弓削俊彬さん。自然好きなのかと思いきや、「定年後、『毎日が日曜日』にならないようにはじめた趣味のひとつだったんです。子どものころ野山で遊んでいた年代ですが、当初は、木の種類も草花の名前もあまり知りませんでした」
60、70代の会員が多いというNPO自然観察指導員京都連絡会。「友の会」、京都市近郊のフィールドで行う観察会などに参加しているうちに、「8年かけてだいぶ覚えましたよ(笑)」と弓削さん。
好きなジャンルは?
「植物です。逃げないし、動かないし、一年中同じ場所にあるので観察しやすいのがいい」とのこと。そして、「大きい木も、小さいコケも、お互いに影響しあっているんですよ。働いているときには考えたこともなかったのですが、すべての動物は、そんな植物に生かされていると感じます」
自然を楽しむコツを伺うと、「じ~っとよく見ること。ぼんやりしてたら見えるものも、見えてこない」。
弓削さんたちがいま気になっているのは、子どもたちと自然の接触が減っていること。「子どもたちに自然の楽しさを教えてあげるのが、われわれの使命だと思っています」
今回、退職や早期退職などで会社を辞めてから、新たな活動に取り組んでいる人について読者にアンケートを実施しました。その回答の一部を紹介すると―。
仕事中心の生活ではあまり時間をさくことができなかった社会生活や、仕事以外の人づきあい、自分自身のしたいことを大切に考えている人が多いようです。新たなステージを自ら作り出すことが、より豊かな人生を送る秘訣(ひけつ)かもしれませんね。