少しカーブした長方形の、ニッキが香る焼き菓子「聖護院八ッ橋」。生地を平たく焼き上げた後、まだ熱いうちに円柱の鉄棒で押して、この形が完成します。わざわざひと工程を追加している理由は、江戸時代初期の琴の名手・八橋検校(やつはしけんぎょう)にまつわる物語にあるのだそう。
八橋検校とは「六段の調べ」などを作曲し、近代箏曲の礎を確立したといわれる人物。晩年を京都で過ごし、1685年に没すると金戒光明寺に葬られました。
そこで参道の茶屋「玄鶴堂」が、八橋検校をしのんで琴に似せたお菓子「八ッ橋」を考案。その「玄鶴堂」が今の「聖護院八ッ橋総本店」なのです。
「形はもちろん、うるち米に砂糖を合わせてニッキで香り付けをして焼くという製法も江戸時代から受け継いでいます」と同社広報総務部総務課の木全正則さん。
山科から京都市中心部を経て南部へと延びる阪神高速8号京都線。2008年に開通した上鳥羽から第二京阪道路接続部の区間は、伏見区竹田付近から伏見区向島付近まで、油小路通の上を高架で結んでいます。
ここで紹介したいのは、その高速道路の下の大きなコンクリート。城南宮出入り口から伏見出入り口間の橋脚だけ、ほかとデザインが違うんです!
「このエリアは平安末期に白川上皇が鳥羽離宮を造り、政治・経済・文化・芸能の中心地として栄えた地域であり、現在においても城南宮があるなど、歴史を色濃く感じる地域。そこで、橋脚の形を鳥居の門形をイメージしたデザインにしています」(阪神高速広報)
そう言われると、ほかのエリアにはT字型の橋脚もありましたが、この区間は21本、すべてこの鳥居形。高さはおよそ10m、上部の幅も約10m。柱1本の幅は約2.5mと、巨大な鳥居のアーチが連なっています。シンプルなラインのこの形は、周辺の景観になじみやすいというメリットもあるとか。
新京極商店街の六角通沿いにある小さな公園「ろっくんプラザ」。その花壇の中に、茶色と白の大きな石造りのモニュメントが。目をカッと開き、口をぎゅっと結んだような顔。怒っているようにも、笑っているようにも見える不思議な表情です。これは何かの動物?
新京極商店街振興組合で聞くと、1990年、この公園が整備されたときに、洛陽ライオンズクラブから同クラブの30周年記念事業として寄贈されたモニュメントで、名前は「ろっくん」。京都市立芸術大学・教授の田坪良次さん(当時)がデザインしたものです。
「ろっくん」をお披露目したときの、田坪さんのあいさつ文を読んでみると、明治期に歓楽街としてできた新京極を、田坪さんは、“歓楽街=毎日がおまつり”のようなところと考え、日本の祭りに登場する獅子舞の獅子をイメージしたのだそう。「お獅子は土地の守護神であったり、祭り行列の先導役であったりします」(あいさつ文より)
23年たった今も、アーケード街の一角で道行く人々を見守ってくれています。
京都市内を歩いているときに、目にする“あるもの”。そこには、いかにも京都らしいデザインが施されています。
その“あるもの”とは、京都市上下水道局が設置している下水道のマンホールのふた。中央には京都市の市章、それを囲むように、円形のものがたくさん並んでいます。この丸いもののモチーフは、御所車の車輪なのです。
同局によると、下水道が普及していくなかで、マンホールにも京都らしさを取り入れようということになり、「御所車」をモチーフにしたデザインになったのだそう。
1988年以降に新しく下水道が整備された地域や、古くなって新たにマンホールのふたを取り替える際には、このマンホールが使用されています。その数、現在までにおよそ3万8000枚。
記者も気にしながら通りを歩いてみると、すぐに見つかりました。みなさんも一度は目にした…いや、上を通ったことがあるかもしれませんね。
1913年に完成し、今年で“100歳”を迎えた七条大橋。実際に歩いてみると、あれ? 欄干は新しいような…。実は、完成時の欄干は戦時中の金属供出で取り外されてしまったのだそう。現在の欄干は、1987年に付け替えられたもので、ここにも、この地域ならではのモチーフが採用されているんですよ。
京都市建設局土木管理部調整管理課によると、欄干のデザインは、三十三間堂で江戸時代に行われていた「通し矢」をイメージしているそう。よく見ると、的に向かって矢が飛んでいるような円形になっているのが分かります。
1つの円にある矢は10本。実はこの数がミソなんです。毎年1月中旬に三十三間堂で開かれる「大的(おおまと)大会」は、「通し矢」にちなんで、新成人が晴れ着姿で弓を射る行事。“新成人=20歳”ということで、欄干の柱と柱の間には、円をふたつ並べて20本でワンセット。成人式を祝う気持ちも込められているのかもしれませんね。