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百人一首ゆかりの地を訪ねる京の秋

さわやかな秋空の広がる行楽シーズン到来! “紅葉の錦”を愛する気持ちは、今も昔も変わりませんよね。「百人一首」誕生の地・京都には、歌や歌人と関係の深い場所が数多くあります。百人一首愛好家の案内のもと、いにしえの時代に思いをはせながら、秋の彩りを楽しんでみませんか? 

小倉山 峯のもみぢ葉心あらば 今一度の みゆきまたなむ

平安貴族を魅了した小倉山(標高286m、写真右側)の紅葉。二尊院の本堂奥の階段を上った山の中腹に、百人一首を選定したといわれる亭跡の碑が建てられています。常寂光寺の境内には定家の歌碑も

今も昔もモミジの名所・小倉山山麓には歌を選定した山荘跡も

二尊院

二尊院の総門をくぐり本堂に向かう参道は、通称「紅葉の馬場」

【二尊院】
京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27、JR「嵯峨嵐山」駅から徒歩約20分
拝観時間=午前9時~午後4時30分
拝観料大人500円
TEL:075(861)0687

「この歌は、百人一首では“雑”に分類されています。雑というのは、四季や恋以外の歌ということ。平安中期の貴族・貞信公(藤原忠平)が、名所小倉山のモミジに自分の思いを託した歌です」と京都百人一首・かるた研究会代表の河田久章さん。

歌に登場する小倉山は、右京区嵯峨の桂川沿いに位置する小山。かつて、嵯峨嵐山一帯は貴族の別荘が点在し、百人一首の生みの親である藤原定家(以降・定家)も、山荘を構えていたのだとか。「定家が、鎌倉幕府の武士で歌人でもある蓮生(れんしょう・宇都宮頼綱)に頼まれて、歴代の歌人の歌を色紙に書いたのが百人一首です。定家と蓮生は大の仲良し。蓮生も同地に別荘を持っていたので、そこで持ち上がった話ではないでしょうか」

百人一首を選定した山荘は時雨(しぐれ)亭と呼ばれ、江戸期の観光ガイド・都名所図会では、山麓の常寂光寺、二尊院、そして厭離庵(えんりあん)の3カ所が紹介されているとか。現在も諸説ありますが、いずれもモミジの美しさが往時をしのばせる場所です。

瀧のおとは たえて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ

大沢池

周囲約1kmの大沢池。大覚寺本堂の観月台から一望できます

平安貴族の人気スポット大沢池。枯れてなお名声誇る名古曽の滝

名古曽の滝跡

国指定名勝地「名古曽の滝跡」は、大沢池の東奥にあり、高さ2mほどの石組みが残っています

【大覚寺】
京都市右京区嵯峨大沢町4、市バス・京都バス「大覚寺」停すぐ、JR「嵯峨嵐山」駅北口から徒歩約15分、
拝観時間=午前9時~午後5時
拝観料大人500円
TEL:075(871)0071

平安初期に嵯峨天皇が離宮として建立した旧嵯峨御所大覚寺門跡。一般的に大覚寺と呼ばれ、その境内東側に広がる大沢池は、建立に合わせて造られた庭苑池(ていえんち)です。「名古曽(なこそ)の滝」も池の一部として造成されたものですが、現在は国指定の名勝地として滝跡が残されています。

大覚寺・大沢池では、ひんぱんに歌会などが催され、平安時代の貴族の人気スポットだったとか。

「この歌を、平安中期の貴族で歌人の藤原公任(きんとう)が詠んだときには、すでに滝の水は枯れていたことがうかがえます。拾遺集という歌集に、公任が“瀧のいと”と呼んだバージョンが掲載されていて、誰が“瀧のおと”と変えたのか気になるところです」と河田さん。滝に水が流れる様子を“いと”と表現した、公任のセンスがすてきですよね。

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