どちらかといえば、関西=うどん、関東=そば。そんなイメージを持っている人も多いのでは? そんな関西において京都人は、そば好きの一面も持っていますね。今回の特集は、京都とそばのかかわりを紹介。新そばの季節、あなたも“京都でそば”はいかがですか?
最初に紹介するのは、京都のそばの歴史やおいしさのヒミツについて。江戸時代から続く老舗「晦庵 河道屋」の店主・植田健さんに聞きました。
京都のそばを語るときに外せないのが、水とだし。まず水には、どんな特徴があるのでしょうか。
「日本の水は全体的に軟水が多いようですが、特に関東に比べて関西、そして京都の井戸水はよりやわらかいといわれています。これが、だしに深くかかわってくるんです」
古くから関西には、北海道の昆布が若狭を経て北転船(ほくてんせん)で運ばれてきました。
「これらの昆布の味を引き出すのが軟水。硬い水だとおいしくならないんですよ」。軟水と昆布が組み合わさったことで、独自のだし文化が誕生。さらに宗田節などの“節”と“薄口しょう油”を合わせることで、おのおのの相乗効果により関東にはないそばだしが完成したのだそう。
「総本家 河道屋」は、前述の通り江戸時代の創業ですが、京都にはさらに古い、室町時代創業のお店があります。それが「本家 尾張屋」。
「古くからのお店が今も残っている理由は、京都にたくさんの寺社が存在していることと関係があるんです」と植田さん。
「そばを寺社にお届けすることも多かったため、ニーズが高かったということです。京都のそばは、寺社に出入りすることで育ててもらったといえますね。また、お茶事の際に使用されるということもあり、茶の文化が発達していた京都でおそばが求められていたともいえるでしょう」
ところで、「総本家 河道屋」「本家 尾張屋」ともに、創業当時、実はお菓子を扱うお店だったのだそう。それが、なぜそば店に?
「お菓子を作るときの粉を混ぜる、伸ばす、切るという工程はそば作りと同じでしょ。そこで、上手なそば切りを求めた人が、腕の良い菓子職人に頼んだということが始まりです」
そして、現在、両店とも“そば菓子”を販売。
「そばを打つようになって、そのそばを利用してお菓子を作れないかと発想したようです」
お菓子からそば、そしてお菓子─。おもしろいループ現象ですね!