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文化、歴史からたぐってみれば… 京都とおそば

文化、歴史からたぐってみれば… 京都とおそば

京都とおそば

2ページ目では、そば文化にかかわるさまざまなトピックスを紹介します!

京都生まれの「にしんそば」

丼からはみだすほど大きなニシンが入ったそば。単品1200円

松葉4代目の松野さん。「にしんそばは、ニシンとそば、つゆのバランスが大切です」

そばの下にニシンの棒煮が入っている「にしんそば」。「今では全国各地で食べることができますが、実は京都が発祥の地なんです」と言うのは、四条大橋の東にある「松葉」の4代目・松野泰治さん。

「明治15年(1882年)、当店の2代目・松野与三吉が、ニシンの棒煮とそばを組み合わせたのが始まりです。

新鮮な海の幸が手に入りにくいこの地で、北前船で運ばれてくるニシンは、貴重なタンパク源。おばんざいにも使われる身近な食材でした。先々代は開拓精神のある人だったと聞いています。“何か店の名物を”と、考案したのではないでしょうか」

その後「にしんそば」は口コミで広がり、たちまち人気に。

「大正から昭和の初めに使っていたメニューには、“にしんそば18銭”の横に“名物”の文字が記されていますから、早い段階から評判が良かったのだと思いますよ。今も誕生当時の味を守り続けています」と松野さん。

さらに伝統は盛り付けにも。

「まず器にニシンを敷いてそばを入れ、だしを最後にかけるのが、きまりです。食べ進むうちに徐々にニシンから味が染み出て、そばとよく絡みます」 「にしんそば」は、ひらめきとこだわりが生んだ“京名物”といえそうです。



★松葉 本店
京都市東山区四条大橋東入ル、TEL:075(561)1451。午前10時30分〜午後9時30分、水休み

亀岡にもある、ソバ畑

取材時のソバ畑。「湿気と雑草がソバには大敵。雨水がたまらないように畑に溝を掘ったり、こまめに草取りをしなくてはなりません」と向條さん

9月になると、白い小さな花をつけるソバ。10月からは実がなり始めます

昨年収穫したソバの実。「普通、ソバの実の厚みは2~3ミリ程度ですが、犬甘野の実は、それより少しぷっくりしています。たくさんのそば粉が作れるんですよ」(向條さん)

京都市のお隣、亀岡市でソバが栽培されているって知っていましたか?

亀岡市南西部にある犬甘野(いぬかんの)。緑豊かな山あいに田んぼが広がるこの地区では、昭和63年(1988年)からソバを作っています。

犬甘野営農組合の組合長・向條(むかいじょう)一郎さんによると「減反で米を作らなくなった田んぼで栽培を始めました。朝晩の温度差があり、涼しい地域が適しているので、標高がおよそ400mある犬甘野のような山間部はぴったりなんですよ」。

取材に訪れたのは8月中旬。8月上旬に種をまいたばかりとのことで、ソバの高さは5cmほど。11月、1mくらいに育ち、落葉したところで収穫するのだとか。この地域では約4ha栽培していて、昨年は2tを超える収穫があったそうですよ。

収穫したソバは、営農組合事務所敷地内にある「犬甘野風土館季楽(きら)」で食べられるほか、生そばの購入も。「コシと香りがあるおいしいそばです」(向條さん)

★犬甘野風土館季楽
亀岡市西別院町犬甘野樋ノ口1─2、TEL:0771(27)2 300。直売所=午前9時~午後5時、店内飲食=午前10時~午後4時、木休み

親鸞の代わりとなった木像“そば喰いさん”

「座って修行をしている姿の木像です。とても優しいお顔をしておられます」と赤松さん


「親鸞聖人そば喰いの御像」。高さは約1m。モミの木をなたで彫って作ったとされています。ちなみに、口元にはそばはありません ※通常は撮影禁止

三十三間堂の東側にある法住寺には、「親鸞聖人そば喰いの御像」という、ちょっと変わったエピソードを持つ木像があります。

建仁元年(1201年)。当時比叡山にいた28歳の親鸞は、一日の修行を終えると、誰にも言わずに毎夜山を下り、100日にわたって六角堂に通っていました。しかし、夜に親鸞がいないといううわさが立ち始めたことから、親鸞の所在を確認しようとした天台座主は、突然夜中に修行僧たちにそばを振る舞ったのだそう。

「当時の僧侶にとっては、そばはごちそう。たとえ疲れて寝ていても僧侶たちは喜んでそばを食べたのではないでしょうか」というのは、法住寺の住職・赤松圭祐さん。

このピンチを救ったのが、親鸞が自ら彫って身代わりにおいていった木像。代わりにそばの振る舞いを受け、事なきをえたのだとか。そして朝、親鸞が比叡山に戻ってくると、木像の口元にはそばがついていたという言い伝えが残っています。

比叡山から東山渋谷の佛光寺を経て、このお寺に安置されたのは明治の初め。

「“そば喰いさん”と呼ばれて、たくさんの人がお参りに訪れたそうです」(赤松さん)

約800年前、鎌倉時代のそばの味を知る、貴重な存在なんですね。

★法住寺
京都市東山区三十三間堂廻り町655、TEL:075(561)4137。午前9時~午後4時30分。拝観料500円(木像が安置されている内陣に入るには別途300円要)

「“京都そば”のブランド確立を目指しています」
三嶋吉晴さん

京都府麺類飲食業生活衛生同業組合 理事長
有喜屋 代表取締役社長
三嶋吉晴さん


「私が“そばの世界”に入ったのは今から36年ほど前のことです」と話すのは、京都府麺類飲食業生活衛生同業組合 理事長であり、創業84年の歴史を持つそば店「有喜屋」代表取締役社長の三嶋吉晴さんです。三嶋さんに京都のそば事情を聞いてみました。
 「そのころのそば文化は今とは異なり、手打ちそばを出しているお店はほとんどありませんでしたし、扱っているのはうどん中心という店も。京都でそばの消費量はずいぶん少なかったんです」
 自家製麺のお店でも、“5割そば”というところが多かったのだとか。
 「当時はスタイル自体も現在とは違い、出前中心。でも、打ちたてのそばを味わってほしいとの思いから、私の店でも、30年程前から手打ちそばを積極的にメニューに取り入れました」。とはいえ、「手打ちそばが知られていなかったため、全く売れなかった(笑)」という苦い思い出もあるのだそう。
 17年前には「手打ちそば教室」を開講。受講生に本物の手打ちそばの味を知ってもらうことが目的でしたが、その受講生が周りの人に広めていったこともあり、京都でも次第に普及。今では手打ちそばのお店もずいぶんと増えています。
 そして今後の目標はー。
 「信州そばや出雲そばなどがあるように、“京都そば”を作り上げたいと思っています。京都のソバを使った地産池消の、そして、世界に通用する京都ブランドを確立したいのです」

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