桂川の河川敷では、テニスコートや野球・サッカーのグラウンド、多目的に使える広場をよく見かけます。
「河川敷の広さには、河川のなりたちが影響しています」(国土交通省淀川河川事務所副所長・北村智顕さん)。そして、「上流に琵琶湖がある宇治川は、大雨が降っても水量の変化は平常時の10倍程度。一方、桂川の水量は、平常時の100倍くらいまではね上がります」。
えっ、そんなに!
「そうなんです。そのため、水が堤防からあふれ出ないよう、河川敷を広くとり、大量の水が下流へ流れるようにしています。ただ、そんな事態になることは1年に何度もありません。平常時の河川敷は、水に親しみ、憩う場として多くの人に利用いただいています」
近ごろはバーベキュースポットとしての人気が上昇。でも、中には、ゴミを放置していく人も…。
「管理者として、周辺住民から苦情が上がるようなら、河川敷の利用を制限する必要が出てくるかもしれません。誰もが快適に利用できるように、マナー違反は慎んでほしいです」
河川の自然はもちろん、河川敷の環境にも気を配りたいですね。
上桂川、保津川、大堰川と何度も名前が変わりますが、河川法上は同じ「桂川」の名称に統一されています。江戸期以降は木材などを運ぶ水運を担っていたこの川で、観光客を乗せた船での川下りが始まったのは、明治28年ごろのことだとか。
現在は、亀岡から嵐山までの約16キロメートルを、船頭がかじを取る船に乗って川を下る「保津川下り」として年間約30万人以上が、渓谷の自然美とスリルを満喫しています。
市内を流れる桂川とは違う表情が見られそうです。
「一般府道京都八幡木津自転車道線」、またの名を「桂川・木津川サイクリングロード」は、西京区嵐山から木津川市まで、桂川と木津川に沿って走る総延長45キロメートルの自転車歩行者専用道路。昭和48年度からはじまった国の事業「大規模自転車道整備事業」の一環として昭和49年度に計画が立てられ、昭和61年度に完成しました。
京都市内を通る自転車道18キロメートル分は京都市が管理。他の部分は、京都府が管理しています。
毎年、地元小学校のマラソン大会のコースとしても利用されているそうですよ。
戦後間もないころ、ドイツのライン川に似ていることから名付けられた「宇治川ライン」。この宇治川ラインの右岸に、昭和25年からおよそ10年間、観光列車が走っていたことを知っていますか?
その名も「おとぎ電車」。
運営していたのは京阪電鉄。昭和25年に開設した宇治川遊園地の遊戯乗り物として、この電車を走らせたのです。志津川発電所から大峰堰堤間の片道3・6キロメートル、トンネルを抜け渓流沿いの景観を眺めながら走るとあって、開業当初から人気を博しました。乗車の待ち時間が2時間30分に及ぶこともあったそうですよ。
しかし、天ケ瀬ダムの建設とともに線路の大半は水の底に…。こうして、惜しまれながら営業を終えたのでした。
昭和初期まで、宇治川が流れ込んでいた周囲16キロメートル、面積約800ヘクタールの巨大な湖「巨椋池」。昭和8年から同16年にかけて実施された国内初の国営干拓事業で、干拓田や耕作のための道路、用排水路が整備され、広い区画が整然と並ぶ農地へと生まれ変わりました。
「久御山町の東一口(いもあらい)地域のあたりは、ほんのわずかに水郷の名残をとどめています。京滋バイパスの宇治西インターチェンジから久御山淀インターチェンジに車を走らせると、ちょうど巨椋池の真上を突っ切ることになりますね」と宇治市歴史資料館の小嶋正亮さん。
そのほか、「巨椋池インターチェンジ」(第二京阪道路)や「巨椋大橋」(洛南道路)といった名称に巨椋池の名残が感じられます。
「現在の巨椋池干拓地では、生息する貴重な生き物や自然環境を守る取り組み(クリーン活動など)を地域の人たちが主体となって行っています」(京都府山城広域振興局・小比賀彰さん)
宇治川というと、宇治橋から上流を望む景色が有名ですね。では、ちょっと反対側を向いてみましょう。宇治橋の下流約200メートルの右岸に工事途中の空間があるのが目に入ります。これは、平成19年に発見された「宇治川太閤堤跡」。平成21年には国の史跡に指定されています。
宇治川太閤堤跡は、豊臣秀吉が伏見城築城(1594年)を契機に行った宇治川の大規模な河川工事の遺構。その後、河川の氾濫で埋没。幸いなことに、昭和40年代に造られた堤防(写真右側)の外側にあったおかげで、保存状態が良いのだとか。約400メートルの護岸と、水の流れをコントロールする施設で構成されています。
今は河川を流れる水の量が多い時期のため、遺跡がダメージを受けないように発掘調査はお休み。「これからどのように整備・復元していくかが課題です」(宇治市歴史まちづくり推進課・荒川史さん)