読者が推薦!私の街の“いい女”

この地ならではの奥深さ
“京料理”ってなに?

京料理のなりたち

奈良〜平安時代 刺し身が一番のごちそう

ルーツは奈良の都。貴族から役人までがあれこれ書くほど、当時の人は食べ物にうるさかったそうです。「当時、近海産の魚は現在とほぼ同じものが出そろっていました。大部分が塩干ものでしたが、中には鮮魚もあり、“割鮮”つまり刺し身で食べたりもしていたようです」

“料理”という言葉が登場したのもこのころ。「そもそも中国で漢方薬を合わせるときに使われていた言葉が、奈良時代に日本に入り、“鮮魚や肉を美しく切り、美しく盛る”という意味に変化したようです」

源氏物語をはじめ、多くの女房文学があるにもかかわらず、平安の宮廷文化の食生活の記録はあまり残っていないのだそう。「伊勢物語には、通って来た夫のために手づから料理を作った女に夫が興ざめする場面もあるほど。食べ物に興味を持つことが良しとされなかったのかもしれませんね」

食材や調味料、調理法は奈良時代とさほど変化はなく、「依然として刺し身がごちそうでしたが、切り方や盛り方などが発達し様式化しました。料理のモード化といえましょう。現在もその伝統が残されていて、『包丁式』も平安時代に始まったものです。また平安末期には豆腐やコンニャクの製法が中国から伝わります」

鎌倉〜戦国時代 精進料理と懐石料理が登場

変化を迎えたのは鎌倉時代。「禅宗が流入し、宋に留学した栄西や道元たちが精進料理を広めたことにより、だしの文化が発達しました。すり鉢の普及で、それ以前は“なめもの”だったみそがすられ、調味料として使われ始め、みそ汁や煮物、和え物、田楽などが誕生します」

室町時代になると武家が優位になり、幕府が京都に移ります。

「それまでの宮廷料理が武家に受け継がれ、包丁を用いた料理と、精進料理の技術が武家社会の京都で合体し、京料理が誕生します。これは日本料理の誕生でもありました。『本膳形式』という形が生まれたのもこのときです」

一方、茶道の発達により、信長の時代になると懐石料理が誕生しました。「懐石料理は、濃茶の刺激から胃腸を守るためにおしのぎ程度に用意された、濃茶を飲むための“前奏曲的料理”です」

江戸時代 各地で多様な日本食が発展

江戸時代にはさまざまな形態の料理店が誕生しました。本膳料理や懐石料理をアレンジして出し、庭園なども見せる会席料理屋も登場します。

「京料理を語るうえで欠かせないのが、仕出し料理店です。昔は婚礼なども家で行っていましたので、ニーズが高かったのですね。西陣の織物屋さんでは社員の昼食にも仕出しを使ったそう」

ちなみに江戸では屋台の文化が誕生します。寿司や天ぷら、ソバ、おでんなどはここで生まれました。

京料理と水の深い関係

「日本は安全でおいしい水に恵まれた国ですよね。引き算の調理法でおいしさを引き出す日本料理の基本が生まれたのは水が良いからでしょう。

特に京都は豊富な地下水があるため、京料理は水に育まれた料理といえます。京都の水は東京に比べ軟水度が高いために、昆布のうま味がだしに良く出るのです。

豆腐や湯葉、麩(ふ)も中国からの伝来品ですが、あちらでは炒めたり揚げたり加熱して食べるもの。それが京都の水と出合って刺し身感覚で食べられるようになりました。

海から遠かったため、琵琶湖や川からの淡水魚を活用したのも京料理ならではの特徴です。

何より大きいのは京野菜の充実です。栄養豊かで甘い水と昼夜の寒暖差により、豊富な種類の野菜が育てられました。京料理には、精進料理の名残で野菜・乾物が中心的に用いられますが、うまだしに塩とほんの少し薄口しょうゆを加え、その色を損なわないように上品な味付けがなされます。私は“淡色文化”と呼んでいます」

日本料理Q&A

「向附」は「むこうづけ」と読みます。茶事の懐石では、最初に折敷(おしき)の上の手前にご飯とみそ汁、奥に向附(むこうづけ)を置いて運ばれてきます。ご飯とみそ汁の向こう側にあることから、この名前になりました。魚介の膾(なます)やお造りなどが盛られることが多いですね。 「八寸」ももとは茶事懐石の言葉です。ご飯とみそ汁、向附、椀盛、焼物と続いた後に、八寸(約24cm)四方の白木の板に、海の物と山の物を使った酒肴(しゅこう)が盛り合わされて出ます。この酒肴自体が八寸と呼ばれるようになりました(奥村さん)

あれは茶筅水(ちゃせんみず)といいます。裏千家の懐石料理では夏場、清涼感を演出するために、茶筅に水を付けてお椀に振りかけます。ですから私たちは寒い季節に茶筅水は行いません。 ほかの料理店で「誰も触っていないというしるしです」と説明されたことがありますが、茶道の懐石でそんな意味はありません(平さん)

「辻留」の風炉(夏)の茶懐石。茶筅水が涼やかです(写真提供:辻留)

現在、農林水産省の主導で「日本食文化の世界遺産化プロジェクト」が進行中。歌舞伎や祇園祭も登録されている世界無形遺産を目指そうというもので、3月にはユネスコへ登録提案がされる予定です。その検討会委員を務め、NPO法人日本料理アカデミー理事長でもある、菊乃井の村田吉弘さんに聞きました。「まず世界遺産になることで、大学に専科がつくられるなど保護措置が期待できます。またこれを機に、多くの人に日本料理という文化に思いを向けてもらうことも大事な効果です。世界遺産ともなれば、その本陣ともいえる京都の料理は世界的な義務を負うことになります。京都の人は身近で当たり前にあるからその魅力に気付きにくいけれど、失われる前にその魅力を認識し、守っていくことが大事ではないでしょうか」

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