30分ほどの取材中、勝部継央さんの携帯電話が鳴ったのは3回。お忙しいですね。
「利用者さんの安全と体調管理が何よりも大事ですから、スタッフとはこまめに連絡を取り合うんです」
デイサービスで5年、特別養護老人ホームで6年の勤務を経て、1年前に「ケアハウス 西院」へ。
「介護の仕事は資格がなくてもできますが、より的確なサービスを提供したかったから、働いて4年目で介護福祉士になりました」
現在の職場であるケアハウスとは、入居型の高齢者施設のこと。
「利用者さんの人生の総まとめのような時間を一緒に過ごせることは幸せなこと。思い通りに生活をしてほしいので、望んでいらっしゃることを優先的にかなえるよう心がけています」
利用者の中には、その思いをストレートに口に出せない人もいます。
「それをくみ取るためにも、普段のちょっとした言動にも気をつけています。ご家族の方に昔のお話を聞くことも、利用者さんの気持ちに寄り添うために大切です」
その結果、聞くことができる「ありがとう」。「この言葉がやりがいです。月並みですけど(笑)」
ウェスティン都ホテル京都に勤めて4年目の酒井望沙(みさ)さんが、念願のブライダルコーディネーターになったのは2年前のこと。
「ホテルでアルバイトをしていた高校生のときに、披露宴のサービスをしたのがきっかけです。幸せそうなカップルを見て、こんな二人をサポートできる仕事に就きたいなと思ったんです」
その初心は今も健在!
「お二人にとっては一生に一度のこと。絶対にミスできませんし、責任は重大。打ち合わせを重ねて、挙式当日を迎えられるとホッとします」
酒井さんが、この仕事をするうえで大切にしていることは「何にでも興味を持つこと」だそう。
「お客さまはいろいろな方がいらっしゃいます。自分の興味の幅が広ければ、それだけお客さまとの話題にもつながりますから」
そんな気持ちで習い始めたのが茶道。「京都には、お茶をたしなむ人が多いから」というのが始めた理由でしたが、結果的には、同ホテルで昨年からスタートした、茶室「可楽庵」で執り行われる「呈茶人前挙式」の案内にも役立っているそうですよ。
現在、漫画雑誌「ジャンプスクエア」に「貧乏神が!」を連載中の助野嘉昭さん。小さいときから絵を描くのが得意で、芸大に進学するつもりだったものの、「京都精華大学にマンガ学科(現マンガ学部マンガ学科)ができると聞いて、『あ、じゃあ』って感じで入学しました」。
「遊んでばっかりだった」大学を卒業したのは2004年。自身初の連載となる「貧乏神が!」がスタートしたのは2008年夏のことです。この間、4回の受賞、最高賞金は200万円と聞くと、順調だったかのように聞こえますが…。
「全然(笑)。賞をいただいた後は、それがプレッシャーで苦悩の日々。描いても描いてもOKが出ませんし、そのうち何を伝えたいのか分からなくなってしまい、自分が描く意味があるんだろうかと悩み続けました」
そんなときに頭をよぎったのが、ある漫画家の「楽しんで描く」という言葉でした。
「漫画とは楽しいものなんだから、自分も楽しまないと、と。そう気付いてからは、半年くらい描けなかったものが2週間で完成しました(笑)」
仕事は全部楽しい、と助野さん。
「それでお金をもらっているだけで幸せです」
看護師だった母親の姿を見て育った増田かなえさん。高校卒業後に進んだのは、母と同じ道、看護学校でした。
とはいえ、「強い思いで入学したわけじゃなかったので、勉強にも身が入らず、1年目にしてもう辞めようかと思ってました」。
でも、増田さんは出合ったのです。
「2年生のときの産婦人科の実習の初日に出産に立ち会って、『見つけた! これだ!』と思いました。命がけで産むお母さんの姿、一生懸命呼吸をしようとする赤ちゃんの姿にすごい感動を覚えました」
助産師という夢を見つけた増田さんは、看護学校卒業後、助産師の専門学校に入学、その後、現在の職場である足立病院で働き始めました。
助産師として2年目を迎えた今、目指すのは“伴走者”。
「妊婦さんや産婦さんをリードするというよりも、支える存在になりたいんです。産婦さんやご家族の不安を少しでも軽くできるようなかかわりをして、安心して出産を迎えるお手伝いをしたい。そして、その人らしい出産、思い出したくなるような出産をしていただきたいと思っています」