千年の歴史や豊かな自然、独特の建物や文化など、京都の街は地元の人のみならず、国内外から愛されていますね。そんな魅力に引き寄せられ、京都で暮らし始めた人もいるようです。今回はそんな人々を紹介します。
「20代で京都を旅したとき、『イノダコーヒ』の本店で朝食をとり、朝の街を歩きました。そのとき、街並みが不思議と自分になじんだのを覚えています」。そう話すのは、京都で整理収納アドバイザーとして活動している森下真紀さん(36歳)。「ものとのかかわりを見直したいと考えているので、ものを大切にする京都の精神文化にも共感します」
魅力を感じるのは何げない京都の暮らし
森下さんは子どものころから、京都好きのおじの影響で京都を身近に感じ、「いつか住みたい」と思うように。30代になると、「いいな」と思うものは京都の職人によるものだったり、きものを好きになったり、とその思いは強くなります。さらに再開した茶道で出会ったのが、京都出身の先生。町家の文化や京都人の人となりを教わったことで「住むことをリアルに考えられるようになった」のだそう。そして、3年前に京都へ。
焼き物の町・常滑市に育ち、古いものや歴史に魅力を感じてきた森下さんは、京都の住まいも古い長屋を選択。地元と共通した魅力に引き込まれるそう。「観光地に行かなくても、散歩で路地を見つけたり、何げなく入った近所のおソバ屋さんにも職人の気質を感じたり、私にとって京都は、暮らしているだけで十分楽しい場所なんです」
「何が何でも京都に住みたい」と、北海道から未踏の地へ。そんな潔い移住を38年前に実行したのは、坂本孝志さん(65歳)。「昔から古典や歴史が好きで、その舞台である京都をもっと知りたかった」と振り返ります。
定年後も京都への探究心は衰えることがなく、猛勉強をして「京都検定」1級を取得。さらに、歴史や文化の研究から社寺清掃のボランティアまで行うNPO法人「京都観光文化を考える会・都草」を立ち上げた孝志さん。いわく「京都にどっぷり」の毎日です。
京都の“当たり前”が、僕たちには新鮮
「京都じゃなかったら呼ばれても来なかったかもねえ」と話すのは、母のフサ子さん(91歳)。58歳のとき、孝志さんのもとへやって来ました。慣れた土地を離れるのは心細かったのでは? 「いいえ。息子や孫と楽しく暮らせましたから。それに、こちらでは、東山・西山のお寺をたくさん訪ねられてうれしかった」とほほえみます。
親子で京都になじんできた孝志さんですが、いまだに驚くことがあるそう。「たとえばお地蔵さんとか、気になることがあれば『あれは何ですか』と地元の人に尋ねるんです。でも、『さぁ。昔からあるから』とあっさり(笑)。ヨソさんの僕には新鮮なことも京都の人には当たり前なんでしょうね」
フィンランド出身の版画家、トゥーラ・モイラネンさん(51歳)は、28歳で初めて日本を訪れました。東京を観光したのち京都に来ると、「不思議と懐しい感じがした」と話します。
2年後、精華大学の留学生として再び京都へ。現在は左京区の一軒家が自宅兼アトリエです。「この辺は空気に芸術が溶け込んでいて心地いい。それに、私は森の国の人。緑がないと生きていけない」と、毎朝夕、疏水や法然院の周辺など、近隣の緑豊かな場所を散歩しているそう。
次は観光的な気分で京都を体験したい
実は一時期、京都を離れてフィレンツェに住んでいたモイラネンさん。「一生懸命日本人になろうとしていて、しんどくなったのか離れたくなって。でも、どこか京都に似ているフィレンツェで過ごしていると、日本にいても私は外国人のままでいいんだ、と何かがふっ切れて京都に帰ってきました」
それから12年がたち、なめらかな日本語、自宅の食器棚には汁椀とお茶碗─。そんな暮らしがすっかりモイラネンさんの“ふつう”に。
最近は、「フィンランドから次は観光ビザで入国して、もっと観光気分の新鮮な目線で京都を感じたい」と考えたりもするのだとか。