息子が少年野球をやっていた小学生のころ、はっぱをかけるつもりだったのか、夫が子ども時代にもらったスポーツの賞状を息子に自慢していました。その後、私に話した息子のこの一言は、どんなすごい学者さんの言葉より、突き刺さりました。
住む世界が限られている子どもは、まず親に認めてほしい。私も子どものころはそう願っていたかも。また、認められることで、自信を持って生きていけるのかもしれません。
5歳の息子の言葉。私は子どもが起きているときは、必要なとき以外は携帯を使わないようにしていますが、夫は常に画面を見ているので出てきた疑問なのだと思います。
「子どもはよく見ているな」と感じました。息子が言っていたことを夫に伝えても、夫の携帯の使い方は変わっていないので、「どうしたものか」とも思います。
職場で5歳の子と四つ葉のクローバーを探していたとき、「四つ葉を見つけたら幸せになるねんで」と言った私に、彼から投げかけられました。
幸せは人それぞれ。自分にとっての幸せは何かなと、ふと考えさせられました。
みんなで出かける準備をしていたときのこと。塗り絵をしていたいとこが、「やりたいことより、今やらないといけないことからしなさい」と叱られていたのを聞いていた娘の発言です。
この場面では準備をするのは当然ですが、言葉自体にはなるほどと思うところが。大人はつい先のことを心配して、やりたいことより、将来の利益を優先して生活を送っていますが、子どもは今を生きているのだと。大人が干渉しても、実際はスムーズにいくとも限らないし、現在の幸せを逃して、いろいろな可能性がなくなってしまうかもしれないと感じました。
3歳と1歳を子育て中で、余裕のない日々。あるとき、長男と手紙を書く〝ごっこ遊び〟をしていたときに、長男が私宛てに書いた手紙です。
忙しさを理由に、自分がいかに毎日怒っていることが多いか、子どもから教えられました。怒ることを減らし、それ以上に笑顔を増やすように心がけたいです。
小学校高学年だった娘と一緒に出かけたときのこと。混雑した駅のホームで、前を歩いていた目の不自由な方が柱にぶつかってしまいました。サラリーマン風の紳士が手を貸していたので、内心ホッとしていたら、娘にこう問われました。
「いつもはお手伝いするけれど、急いでいたので」などと、苦し紛れの言い逃れに娘も納得しない様子。普段から言うだけではなく、こんなときこそしっかり実践して見せるべきだったなと今でも反省しています。きっと娘も心を痛めていたと思います。同時にそんなふうに感じている娘を立派になったなとも感じました。
近所の子どもが遊んでいて、話しているのを聞いてはっとしました。大人になってから、何かをして改めて「楽しい」と口に出したことがないなと。ついついつらいことや嫌なことばかりを見てしまい、楽しいことに目を向けられていなかったつまらない自分に気づかされました。