聖徳太子をご神体としてまつる太子山(油小路通仏光寺下ル)。北区にある「大下工務店」では、太子山の構造部材を組み立てる「作事方(さくじがた)」を、3年前から務めています。
「聖徳太子は大工の職業神でもあるんです。大工仲間から、作事方をやってみないかと声をかけていただいたときは、長い歴史を持つ祇園祭に携わる責任の重さを覚悟すると同時に、大きなやりがいと喜びを感じました」と話すのは、同店専務取締役の大下尚平さん(35歳)。
山鉾建てには、くぎを使わず、木と縄で組み立てる“縄がらみ”という独特の伝統技法が用いられています。
同店では「現場での作業が、テキパキと手際よく行えるように」と、練習用の模型を製作。祇園祭が近づくと、会社の倉庫で練習を繰り返し、若いスタッフたちにも技術を伝えているそう。
「山を支える強度は確保しつつ、巡行時の力のかかり具合によって、部材の種類や縄の巻き方などが使い分けられています。さらに、その仕上がりにも注意を払います」と話す通り、縄のかけ具合の美しいこと。でも、大下さんらが手掛ける櫓(やぐら)部分は胴懸や前懸と呼ばれる、山を飾る調度品に覆われてしまいます。「見えない部分にまで技を凝らす、先人たちの心意気を感じます」と弟弟子の本多良太さん(25歳)。
「祇園祭は町内のみなさんによって支えられてきたお祭り。その思いに応えられる仕事を心がけるよう若手には伝えています。受け継がれてきた山を預からせていただけること、未来につなげるお手伝いができることに、晴れがましい気持ちでいっぱいです」(大下さん)
7月17日の「神幸祭」、24日の「還幸祭」で勇壮に巡行する3基のみこし。その一つが錦神輿会による「西御座」です。錦神輿会は、錦市場商店街の青年部が運営。その会で過去に会長を務めた藤井輝男さん(49歳)は、228年続く酒店「津之喜酒舗」の8代目。小さいときから、みこしに触れてきました。
「とはいえ、担がないといけないと言われたことはありません。実際、大学生のころを含め、7年間は、みこし熱が冷めたことも」と意外な発言。でも、今は―。
「錦で男として生まれたからにはという思いが自然に出てきたんです。それは、ほかの人も同じやと思う」
担ぎ手は、錦市場で店を構える“仲間たち”が中心。顔を合わせる機会が多いこともみこしを担ぐうえで、メリットがありそうですね。
「みこしがあるから普段のコミュニケーションがスムーズなのか、コミュニケーションがあるからみこしが担げるのか…。それはどちらとも言えること。錦とみこしは一体化しているんです」
祇園祭のみこしを担げることは、何事にも変えられない誇りと話す藤井さん。
「それを若い人に伝えるには背中を見せるしかない、こういった気持ちは言葉にできませんから」。ただ、これだけはということがあるそう。
「引き継ぐ人には、まずはこれまでしてきたことを同じようにしてほしいと言います。神事には、絶対に変えたらあかんことがあるんです」。それが伝統を守ることへの責任なんですね。
今回、さまざまな立場で祇園祭にかかわる人に話を聞くことができました。取材中、よく耳にしたのが〝責任〟といった言葉。歴史ある祇園祭を滞りなく次世代へと引き継ぐことへの思いですが、その言葉を口にするときの皆さんの顔は厳しく、そして誇らしげでした。
祇園祭に出かけ、触れ、感じることもかかわり方の一つです。私たちも、祇園祭の歴史の一部分にあることを意識しながら7月を迎えませんか。