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眠っていた“巨椋池の土”が陶芸作品に

もともと、宇治川・桂川・木津川が合流する場所にあった巨椋池。昭和16年に干拓田として生まれ変わりました。そして、今年11月。地元・久御山町の陶芸サークルがこの池の土を使い陶器を制作。かつて池の底に眠っていた土で作る陶器とは、一体どのようなものなのでしょう。

久御山町役場に寄贈された21点のうちの一部。“久御山の土”という言葉にも地元への愛情が感じられます

机に並ぶのは彩色や線のような模様、飾りのリボンを施したりと、さまざまな色、デザインの花瓶。落ち着いた色合いで花も映えそうです。

これが陶芸サークル「陶遊会」が巨椋池の土で作ったもの。制作後、同サークルが久御山町に寄贈をした21点のうちの一部です。

巨椋池干拓田の下から土が発掘されたのは2008年、「まちの駅クロスピアくみやま」の建設時のこと。地下約5mの場所から掘り出されたこの土で焼き物を作れないだろうかと、同町が総合体育館に保存していたのだそう。

それから数年後、この話が「陶遊会」で指導をする陶芸家・宮崎正制さんのところに持ち込まれたことがきっかけで制作が始まりました。

「陶遊会」のメンバー。前列左から3人目の宮崎正制さんが手にするのが、巨椋池の土です。「久御山にこういう土があることを知ってもらえれば。そうして、巨椋池への思いを子どもたちにつないでいきたい」とは鵜ノ口美代子さん(前列左から2人目)

宮崎さんに聞くと、この土の特徴は、まず“備前焼のような渋い色”に焼き上がること。そして、“粘り気がない”ことだとか。

「ですので、少し曲げるとひび割れがしたり、高さのあるものを作ると崩れたり。慣れるまでは、みんな苦労しました」

同会の代表・鵜ノ口美代子さんも試行錯誤をした一人。

「つぼを作っていた途中にひしゃげてしまって(笑)。少し厚めにして再度挑戦したら無事成功しました」。それが、右上の写真の右端の作品です。

並んでいる作品を見ると、小さな石が表面に出ているものもあるのが分かります。土に混ざっていた小石が残っているんですね。これも、作品の“味”になっているようです。

郷土への愛もこもった作品

作品は今後、小学校などに贈られる予定ですが、1カ月ほどは町役場で保管され、見学可能。

「小学校で子どもたちに見てもらうのも楽しみです。巨椋池への興味にもつながれば」と同課課長の田井稔さん(右)と佐野さん

「自分の郷土から出てきた土は、大げさな言い方をしたら石油がわいてきたくらいの価値を感じられます。愛着はひとしおです」と宮崎さん。

また、作品を寄贈された久御山町の教育委員会社会教育課の佐野美奈さんも、「久御山町ならではの作品を多くの人に知ってもらいたい。形もいろいろで、それぞれの個性が楽しめますよ」

作品の見学を希望する場合は同課=TEL:075(631)9980=へ問い合わせを。

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