1日で複数の古墳を回ると、それぞれの違いが感じられ、面白いもの。古墳に詳しい人たちの案内のもと、城陽市と右京区を実際に歩いてみました。
城陽市の近鉄「久津川」駅周辺には、徒歩圏内に大小さまざまな古墳が見られます。
最初に訪れたのは、昨年復元された芝ヶ原古墳。日本でも最古級の3世紀前半の前方後方墳です。この古墳があるのは、街を見渡す丘の上。「埋葬される支配者が死後も自分の土地を見守れるよう、ここにつくったのでしょう」と城陽市教育委員会の小泉裕司さん。
その芝ヶ原古墳から見えるのが、平野部に作られた城陽市で最大規模の久津川車塚古墳と、久津川車塚古墳に埋葬された有力者を支える人物の墓と考えられている丸塚古墳です。
久津川車塚古墳は5世紀前半の前方後円墳で、訪れた日は、地元の人が生い茂ったタケを刈る姿が。努力の甲斐あって、最近では古墳のテラス(墳丘部分の段)もきれいに見えるように! 丸塚古墳は前方部が短い「帆立貝形」の前方後円墳で、こんもりとした形に愛きょうがあります。
もう一つ訪れたのが、上大谷古墳群の18~20号墳がある公園。6世紀後半に築造された17号墳の横穴式石室が移築されています。 歩いてみると、街全体にゆるやかな起伏があることを体感。見晴らしのいい丘の上に古墳を築いた支配者の思いも、肥沃(ひよく)な平野部に権力を示す大きな古墳をつくった支配者の狙いも、足元から伝わってきた気がします。
1面で紹介した蛇塚古墳をはじめ、京都市右京区には古墳がたくさん。特に、嵯峨野には多くの古墳が集まっています。
「その理由は、嵯峨野はもともと支配者らを葬る『聖域』とされていたからなんです。しかし、平安時代以降には寺社が建立され始め、江戸時代になると、秦氏の血を引く角倉了以が開発を始め、田園地帯の多い現在の姿へと変貌を遂げていきました」と京都市埋蔵文化財研究所の加納敬二さん。
そんな嵯峨野で最初に案内してもらった古墳は、御堂ヶ池(おんどがいけ)1号墳。昭和60年ごろ、開発工事中に発見され、現在の位置に移築された京都市最大級の円墳です。
石室に入ると、天井の石がところどころ光っているのが見えます。何でも、権力者が葬られる石室に黄泉の国を再現するため、あえてそうした材質の石が選ばれているとか。当時の人の創造性に感動!
続いて訪れたのが、府道29号線沿いに見える印空寺古墳。6世紀後半につくられたといわれる円墳で、墳丘の下には石室も残っているそうです。
そして「意外なところにも古墳があるんです」と紹介されたのは、広沢池の向かいにある児童公園。実は、敷地内にある茂みが広沢古墳群の1つなんです。「公園内のトイレの下にも古墳がありますよ」。一見しただけではわからないところにも古墳が。その奥深さ、恐るべし!
協力/まいまい京都