「作家と職人は、手仕事という点では同じですが、違う面もあります。職人はお客さまの意向に沿うものを作り、作家は自分が表現したいものを作る。作家にとって、自分のテーマを見つけることは、とても大事」
山科区の清水焼団地に工房を構える陶芸家の谷口正典さんは、作家と職人の違いをこう教えてくれました。
谷口家は、正典さんの父・良三さんから息子の良孝さんまで3代続く陶芸一家。良孝さんは若手作家として活躍中ですが、「『陶芸を一生の仕事に』と覚悟が決まるまでには時間がかかった」と言います。
「父の言う『自分のテーマ』が見つからなかったんです。高校卒業後は専門学校などで学び、その後父に師事しましたが、その間も、何を作りたいかがわからなくて…」
良孝さんが壁を乗り越えたのは、修業を始めて5年後。「納得する色を出せる釉薬(ゆうやく)を作れ」という正典さんの言葉をヒントに、「深海の遺跡」というテーマでターコイズブルーのオブジェを製作。作品展での入賞を果たしました。
ちなみに良孝さんへのアドバイス、実は正典さんも父・良三さんから同じことを言われたそう。「私もこのときに自分の作風を見つけたんです」
作家として同じ悩みを経験した父子。「でも、息子も僕もまだまだ。同じ作家同士はライバルでもあるから、切磋琢磨(せっさたくま)していきたいですね」
山科区にある、仏像彫刻師の須藤光昭(こうしょう)さんの工房。親方の光昭さん、息子の隆さん、そして3人の職人が作業をしていました。
「いま作っているのは木地仕上げ(※)の仏像。ここにいる全員で分担して作るんです」と隆さん。みんなで一体の仏様を作り上げるなんて、連帯感が必要そうですね。
「父は『同じ工房で働く者同士には阿吽(あうん)の呼吸が大事』と言います。だから、工房の職人は住み込み。共同生活を通じて一緒に働く相手の気持ちを察するのも、うちでは大事な修業です」
修業したてのころに「親方が“丸く彫れ”と言えば、親方が思う丸を想像して彫れるようになれ」と指導されたという隆さん。工房では自分の作業に没頭しながらも、周りの仕事を見ながら学ぶよう努めたそう。一方で、光昭さんは弟子たちにいろいろな話をしてくれるとも言います。
「僕が影響を受けた父の言葉は『見た人が手を合わせたくなるような仏様を彫るには、すっきりした気持ちで向き合わなあかん』というもの」。実際、光昭さんも「難しい顔して修業していても、いいものは作れない。楽しい気持ちが大事やね」と話してくれました。
そんな工房で生まれた仏像は、どれも柔和な表情。やっぱり!
※木地仕上げ:着色や金箔押しをせず、木の質感を生かすこと
上京区にある和菓子の老舗「塩芳軒」。主人である髙家昌昭さんの息子は3人。若主人で長男の啓太さん、名古屋の和菓子店と塩芳軒での修業を経て、2005年より自分の店「聚洸(じゅこう)」を上京区に構える次男の裕典さん、そして塩芳軒の業務を手伝う三男の悠輔さんです。異なる場所で修業をした啓太さんと裕典さんにそれぞれの苦労を尋ねました。
「修業したてのころは覚えることだらけ。でも、僕は家を出ていた分気楽やったんちゃうかなぁ…」と、裕典さんは啓太さんをチラリ。
その啓太さんは「僕は『この家で育ってきたのだから、できて当たり前』という周囲の目がプレッシャーで(笑)。でも、意匠を考えるところから販売まで、菓子づくりのすべてに携われるこの仕事が好きでした」
そんな2人は、ともに昌昭さんの美意識に刺激を受けたと言います。
「父から学んだことの一つは『引き算の美学』。一度、僕が作ったお菓子を見せたら、父が『こんなんはどうや』と、敷き詰めた小豆の数を減らしたことがあって。それで印象がよくなったことに驚きました」と裕典さん。
「父からほめられることはほとんどありませんが、それでいい。それよりも、僕らにはまねできない手仕事をこれからも見せてほしい」と2人。職人さん親子は、技こそが絆なのです。