約180基の古墳が確認されている城陽。中でも、最も古い時代に造られたとされる日本最古級のものが「芝ヶ原古墳」です。その古墳の墳丘を復元し、古墳北側の土地を整備した公園が4月18日オープンしました。その見どころとは?
近鉄「久津川」駅から東へ徒歩約10分、住宅街の一角にあるのが芝ヶ原古墳です。今回、整備された面積は6430.34平方メートル。住宅に囲まれた敷地内に古墳がある公園が誕生しました。
斜面が多く、坂を利用した遊びも楽しめそうなこの公園は、トイレと休憩コーナーがある西側エリアと、復元された墳丘がある丘陵地の東側エリアに分かれた形状になっています。
墳形は、前方後方形だったことが分かっていますが、前方部の一部は調査開始前に道路が作られたために取り壊されてしまい、全体像は分からないままなのだとか。
復元された墳丘の前から北方向の景色が良いと教えてもらった記者。緩やかな階段を上り、その方角を眺め、「正面に見える雑木林のようなものは何ですか」と尋ねました。
「あれが南山城地域で最大級の久津川車塚古墳です。この古墳ができた200年後に造営されたといわれているので、ここができた当時は、かつてあった巨椋池まで見渡すことができたんですよ。このお墓の主は、ここから見下ろす土地を治めていた当時の王様だと考えるのが自然です」と城陽市教育委員会 文化体育振興課の小泉裕司さん。
平野部を一望できるその眺望には目を見張るものがあり、当時の権力者がこの場所にお墓を作ったことがすんなりと納得できました。
この古墳が注目されたのは、周辺の宅地開発が進む中、昭和61年に行われた発掘調査がきっかけでした。
出土した副葬品の中でも、「銅釧(どうくしろ)」と呼ばれる青銅製の腕輪は、当時の支配階級を示すものだといわれており、国内で同じものは見つかっていない貴重なもの。また、「銅釧」と重なるようにして置かれていた「四獣形鏡(しじゅうけいきょう)」といわれる中国のものを模して作られた鏡は、デザインが略式化されたのではといわれています。
出土物などから、古墳時代初期の3世紀前半に築造されたもので、日本最古級の古墳だと考えられるようになったのだそう。
「当時、古墳があることは既に知られていましたが、ここまですごいものが出てくるとは誰も思っていませんでした」と小泉さん。
休憩コーナーにはこの2点のレプリカが展示されていて、自由に触れることができます。「もともとこの色だったのですか」とレプリカを見ながら尋ねると、「酸化して黒っぽく変色していますが、元はステンレスのようにピカピカと輝く白銅色でした」とのこと。今からはるか昔に作られた芸術品のクオリティーの高さに驚きました。
今後は、ボランティアガイドによる解説や歴史体験教室などの企画もしていく予定なのだとか。「トイレや休憩コーナーもあるので、城陽にたくさん点在している古墳を巡る拠点として利用していただき、歴史を学ぶことができる“屋外博物館”のような位置づけになれば」と小泉さん。
古墳時代から続く歴史を感じることができる公園に一度遊びに出かけてみませんか。