ホーム > > 特集:おでかけ > よろいかぶとで勇壮に

「向日市まつり」に「西岡衆子ども武者行列」が登場 よろいかぶとで勇壮に

「向日市まつり」に「西岡衆子ども武者行列」が登場
よろいかぶとで勇壮に

11月17日(土)・18日(日)、向日市制40周年を記念して行われる「向日市まつり」。このイベントに、「西岡衆(にしのおかしゅう)子ども武者行列」と「長岡京時代衣裳行列」が登場します。「西岡衆子ども武者行列」の説明会では、当日着用する“よろいかぶと”もお目見えしましたよ。



鎌倉・室町・戦国時代に、向日市を中心に活躍した武士の集団“西岡衆”。これに由来するのが「西岡衆子ども武者行列」です。

そしてもう1つの「長岡京時代衣裳行列」。この“長岡京”とは、現在の長岡京市ではなく、784年に桓武天皇の勅命により遷都された都のこと。向日市では、朝廷の中枢を担った建物である大極殿をはじめ、長岡京の遺跡が数多く発見されているのです。

「向日市の小学校では、6年生のときに郷土の史実として長岡京の大極殿跡について必ず勉強します。一方、西岡衆のことは、あまり知られていません。実は私自身も、子どもたちに地元の歴史を紹介したくていろいろと調べるうちに、西岡衆の存在を知ったんです」

そう話すのは、向日市の小学校に勤める中西昌史さん。中西さんは、小学校の教職員仲間と「京都乙訓ふるさと歴史研究会」を結成し、2つの行列の企画を立案しました。

「桂川西岸の広範囲にわたる地域は、かつて“西岡”と呼ばれていました。村々に武士のリーダーがいて、集団でこの地域を統治。鶏冠井(かいで)氏、物集女(もずめ)氏、革嶋(かわしま)氏など、地名を名乗った者もいました」

さらに、「1477年に勃発した応仁の乱、織田信長の入洛といった歴史的に重要な事柄に、西岡衆が深く関わっていたことが古文書などに書かれています。数百年にわたって活躍した武将のことを、ぜひ多くの人に知ってほしい」と、今回の企画を思いついたのだとか。

地元高校生が行列をレポート

取材に出かけたのは、2つの行列をサポートするスタッフへの説明会の場。地元の高校生4人とその保護者が参加していました。

高校生たちは、長岡京については知っているものの西岡衆のことは初めて聞く話ばかりのようで、「織田信長と闘ったという話を聞いて、すごい武将がいたことに驚いています」という声も。

「西岡衆子ども武者行列」では、中西さんたちが厚紙などで手作りしたよろいかぶとを身にまとった小学生約20人が登場。天気が良ければ、京都向日町競輪場に設けられたまつりのステージから、向日神社へと歩くのだそう。

「西岡衆は、向日神社に集まって話し合いを行っていたそうです。それに、昭和30年代ごろまで、向日神社の祭礼で騎馬武者の行列が行われていました。武者行列とは、無縁な土地柄ではないと思います」

開催日は異なりますが、「長岡京時代衣裳行列」では、市民モデル50人が文官や女官に扮(ふん)し、まつりの会場内を練り歩きます。奈良市の平城京天平祭で使用されている装束を借り、時代考証の解説も行われるとか。

いずれの行列も、地元の歴史に思いをはせるきっかけになりそうですね。

「長岡京時代衣裳行列」は11月17日(土)午後1時50分~。「西岡衆子ども武者行列」は、18日(日)午前10時55分~、プロ劇団ZTONによる西岡衆を紹介する甲冑(かっちゅう)劇に続いて登場します。

このページのトップへ