ホーム > > 特集:社会・生活 > 400年前の石積みがそのままに

「宇治川太閤堤跡」の発掘作業を公開中
400年前の石積みがそのままに

5年前に発見された史跡「宇治川太閤堤跡」。当時、1600人もの見学者が訪れたこの史跡の発掘調査の様子が今、公開されています。“太閤”という名前が付いていることからもわかるように、戦国時代のアノ武将ゆかりのスポットなんですよ。※「発掘調査公開」は11月30日(金)までの平日(祝日を除く月~金)の午前10時~午後3時。見学無料

施工担当は前田利家
数万人の力を結集

発掘されるとこのような姿に(平成19年撮影)

宇治川太閤堤跡の場所は、宇治橋のすぐ北側の右岸(下流側)。今回発掘調査が行われているのは、全体の5分の1程度を占める宇治川の堤防と菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)墓に挟まれた一角です。 この遺構が発見されたのは、宅地開発にともなう発掘調査がきっかけでした。

まず見つかったのは、石畳。さらに護岸や土器などが次々と発見され、「文献を調べた結果、豊臣秀吉が伏見城を築城する際に、宇治川の流れを変えて造った治水の設備“太閤堤”の一部だということが分かったんです。実に、400年前に造られたものなんですよ」と宇治市歴史まちづくり推進課の荒川史さん。

周辺の調査を進めた結果、護岸遺構は約400mにわたる長大なものということが判明。今回公開されているのは、まさに、最初に発見された石畳がある部分なのです。

「ここは、5年前の調査後、厚さ2m以上もの土で覆って遺構を保存していました。5年ぶりのご対面です」と荒川さん。

取材時、特別に現場に足を踏み入れることが許可された記者は、緊張しながら、いざ400年前の空間へ─。

そばで見ると、石が粗く積み上げられていたり、平たく張り合わせられていたり。1人では持ち上げられないようなサイズの石も多く見られます。 同課文化財保護係の大野壽子さんは、「この一つ一つの石は当時の人たちの手で積み上げられたそのまんま。こんなに大きくて保存状態のよい遺構は、専門家の目から見ても迫力があります」。

実際に触ることはできませんが、見ていると400年前の人の手のぬくもりが感じられるようでした。

荒川さんによると、施工を担当したのは前田利家で、彼の日記には太閤堤の工事で自ら石を運んだことなどが書かれているとか。数万人がかりで、1年かからずに完成させたというのも驚きです。

ところで、あちこちに白色のキレで巻かれたものが突き出していますが、あれは一体…? 

「杭木(くいぎ)です。石積みを補強したり、杭と杭の間に板を挟んで護岸の土台が崩れないようにするため、水中に打ち込まれています。当時の土木技術の高さがうかがえますね」(荒川さん)

公開後は埋め戻して最新技術で完全再現

取材に訪れたのは公開日直前で、まだ半分も掘り出されていない状態。公開しながら、徐々に発掘されるので、訪れるごとに新しい発見に出合えそうです。

そして、調査終了後に遺構はすべて埋め戻されます。

「埋め戻した場所の上には、同じような石を使い、最新の技術を駆使して全く同じものを再現する予定です。さらに、400mにわたる遺構の全域を、宇治の新しい交流ゾーンとして活用する計画もあります」とのこと。

11月17日(土)午前10時~午後3時には、「発掘調査成果説明会」を開催。担当者から随時説明が行われます。見学無料。

問い合わせは宇治市歴史まちづくり推進課=TEL:0774(21)1602=へ。

このページのトップへ