古い昔から、農業地帯として発展していた京都市南区の東九条。この地で代々農業を営んできた長谷川家の築270年の住宅が、9月から地域の交流の場にと一般公開されています。
どっしりとした門をくぐると、庭の木々の向こうに見える「歴史・文化・交流の家」。玄関の奥は土間になっていて、おくどさんのある台所に通じています。
「実は、この土間の部分は、昨年4月まで私の姉たちが洋室に改装して住んでいました。ですが、姉たちが高齢になり、住まいを移したことを機に、この家を当時の姿に近い状態に復元したんです」と、11代目当主・長谷川良雄さんの三女、中川名津さん。
そして、約1年の修復工事を経て、長谷川家は「歴史・文化・交流の家」として生まれ変わることに。名津さんは夫の聰七郎さんとともに開館の準備をしてきました。
では、そもそもなぜ、大掛かりな工事をしてまで公開に踏み切ったのでしょうか。
それには、地域への思いがあったと語る中川さん夫婦。
現在、東九条には多くの住宅が立ち並び、かつての農村地帯の面影は、長谷川家のほか数軒の農家住宅を除くと、ほとんどありません。「今、京都では、古い建物がマンションに変わっています。『歴史・文化・交流の家』を通して、伝統ある建物を保存していくことの大切さを伝えていきたいんです」と名津さん。
そのためにも、この家を地域の交流の場にしていきたいと願っているのだとか。「文化的な活動を通じて、世代を超えた交流が生まれる場になることを願っています。セミナーやコンサートの会場としても貸し出していきたいです」
この建物、2階は洋画家だった名津さんの父・長谷川良雄さんの作品を鑑賞できるギャラリー。繊細なタッチで描かれた水彩画は、京都の自然を題材にしたものが目立ちます。
このほかにも、同館にはここで暮らしてきた人たちの足跡を示すものが数多く残っています。印象的だったのは、1階の床の間に飾られている名津さんの祖父・長谷川清之進さんが13歳のときに描いた絵巻物です。
「これは1864年の長州征伐の折、会津軍が竹田街道を南下していった様子を描いたもの」と聰七郎さん。歴史の一場面を目撃した少年の興奮が伝わる一枚です。
「このとき、会津軍はこの家に滞在したんですよ。床柱に付いている傷は、彼らの武具が当たってできたといわれています」
東九条でとれた農作物を高瀬川経由で都へ運んでいたことがわかる手描きの地図もあり、当時の東九条の様子がしのばれました。歴史のロマンに触れられる建物といえば、お城や寺社を連想しがちですが、長い歴史を生き抜いてきた家からは、その時代を生きた市井の人の思いがより鮮明に伝わってくる…。「歴史・文化・交流の家」は、そんなことを感じられるスポットです。