映画監督・脚本家 中島貞夫さん
〝ちゃんばら〟を復活させたい。僕がいま立ち上がらないと
京都の太秦は、かつては日本のハリウッドといわれた映画の街。その全盛期から多くの作品作りに取り組んできた中島貞夫さんが、84歳にして、20年ぶりに長編映画のメガホンを取りました。タイトルは「多十郎殉愛記」。自身の59年間の映画人生を次世代に引き継ぐ、新しい〝ちゃんばら映画〟だといいます。京都国際映画祭の名誉実行委員長もつとめる、中島さん。4月の一般公開を前に、いまの思いを聞きました。
「映画の全盛時代から京都で映画作りをしてきました。京都の映画らしい映画といえば時代劇。でも、今の時代劇は、武士の日常や、ヒーローとしてカッコよく見せるための殺陣(たて)は描かれていても、ドラマとからみ合った、リアルな〝ちゃんばら〟シーンのある作品が無くなってしまいました。本来の時代劇の復興のためには、ここで立ち上がらないとね」
中島さんが、20年ぶりに手掛けた映画「多十郎殉愛記」は、幕末の京都を舞台に、長州藩を脱藩した多十郎、彼を慕う居酒屋のおとよ、多十郎の腹違いの弟・数馬をめぐる物語。一本の刀に込めた男の情念は生々しく、凄絶(せいぜつ)な立ち回りのパフォーマンスは圧巻です。
「今回の主役(多十郎)の高良健吾君は、若い頃の菅原文太に似ていましてね。この映画のコンセプトでもある〝ちゃんばら〟に対しても、半端じゃない取り組み方をしてくれました」
中島さんは、殺陣や立ち回りを、あえて「ちゃんばら」と呼びます。
「昔のサイレント映画時代、立ちまわりのシーンに生演奏で聞こえてきた〝チャンチャン、バラバラ〟という音。それからきている、呼び方ね。命がけの緊迫感のあるその語感が、僕はやっぱり愛おしいんですね」
常に新しいことを探しています
東大時代は、ギリシャ悲劇を学び、演劇や映画好きが高じて卒業後は「東映」に入社。
「東映は、東京と京都に撮影所があったんですが、上司に〝ギリシャ悲劇だって、時代劇だよな〟と諭されて、京都の撮影所に赴任することになったんです(笑)。その頃は時代劇の全盛期で、年間100本もの時代劇が作られていました」
ところが、テレビの普及により、映画は次第に力を失っていきます。
「そこで、当時の東映のお家芸ともいえる、様式美を重視した作品からの路線変更をめざして、初監督として撮ったのが(1964年公開の)映画『くノ一忍法』です。それ以降、リアルで骨太の作品『大奥㊙物語』『極道の女たち』シリーズなどが定着していったんです」
中島さんはいま、映画監督のほかに、立命館大学映像学部の客員教授でもあります。映画「太秦ライムライト」には、俳優として出演するなど、幅広く現役として活躍しています。
「常に新しいことを探し、考えています。そして何事にも、〝これが最後〟と思って真摯(しんし)に取り組む。それが次へのエネルギーになるし、人生の楽しみにもつながると思いますね」
(文・あさかよしこ )