歌舞伎俳優 八代目中村芝翫さん
50代になった今だからこそ表現できるものがある
京の師走の風物詩「當る戌歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」。今年の話題は、″八代目中村芝翫(しかん)〟をはじめ″四代目中村橋之助〟〝三代目中村福之助〟〝四代目中村歌之助〟の、親子4人同時襲名披露。昨年10月の歌舞伎座から、約1年かけて行ってきた襲名披露。その大舞台としての最後を飾る″顔見世〟を前に、中村芝翫さん(52歳)に、俳優として親として、いまの思いを語ってもらいました。
「私は次男坊なので、一生、橋之助で終わると思っていたんです。まさかこんな大きな名前を継ぐことになるとは、これっぱかりも思っていなくて。芝翫というのは、個人名ではなく、もう会社名に等しい。自分の所有物ではないんですね」
八代目 中村芝翫。50代になってすぐ、その名を名乗ることになった重責を、こう話します。
「歌舞伎の世界で50代は、まだ鼻たれに近い(笑)。とはいえ、この年になって初めて、表現できるものもあります。橋之助時代に何度も務めた役を、芝翫になってから務めたら、やはり違いました。人間の内面の深いところ、心のヒダみたいなものでしょうか、それが表現しやすくなった」
年を重ねてこそにじみでる、目に見えないものが役者としての厚み。自分自身「熟成していく楽しさがある」と話す姿には、八代目の風格も。
また一方で「これからは、次の世代を育てることも大事」と。「今回のごあいさつ回りで、京都のいろんな社長さんと会って学びました。自分の業績だけ上げててもダメ。次の指導者をつくっていかなきゃ、次の代につないでいけないんだって」
襲名披露をする息子たちに思うことは?
「ありがたいことですよ。襲名披露ということで、今回初めてみんな新幹線のグリーン車に乗ったんですが、大喜びでしたよ。いままで乗せていなかったですからね。女房と話しているんですけどね、何でも与えるんではなく、子どもたちには、『いい車に乗りたい』とか『おいしいもの食べたい』とか思ったことを、自分から手に入れにいくという、のびしろを残しておいてあげたいんです」
無我夢中で走ったあとは少しの余裕を楽しんで
さて、大人タノシ世代へのメッセージを。
「30代40代は、仕事を覚え軌道にのせ、子どもも小さいから教育だのなんだの、汗をいっぱいかいてきたと思うんです。無我夢中に生きてきた。それが50代になったら、少し余裕が出てきますよね。その時間で、歌舞伎やお能や、野球など、ライブのものを″生”で楽しんでほしい」
芝翫さんはというと、いま改めて「京都の魅力発見中」とか。テレビの出演番組「京都ぶらり歴史探訪」(毎火曜午後9時〜、BS朝日)の撮影で、各所を訪れています。
「もうね、京都の歴史の深さに圧倒されていますよ。歌舞伎400年といってますが、京都は1200年ですからね。一つ一つの話が深い。清水寺、天龍寺、宇治の平等院と、その歴史を聞くたび驚いてばかり。みなさんも見てください。おもしろいですよ。
もちろん、顔見世はライブでお願いします」
(文・山舗恵子 )