下京区の「塩竃町」と「本塩竃町」の名前は平安時代の初め、源融が造営した「河原院」という別荘に由来します。源融は瀬戸内から海水を都に運ばせ、かまで塩水を熱して生じる塩の香りを楽しむという風流なたしなみを好んだという話です。東本願寺飛び地の「渉成園」には「塩竃の手水鉢」が伝わり、また海水を運ばせたのが「塩小路通」という説もあります。答は【2】。
【出題者】
京都産業大学 日本文化研究所 宣京師 小嶋一郎さん
京都産業大学 日本文化研究所 宣京師 小嶋一郎さん
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下京区の「塩竃町」と「本塩竃町」の名前は平安時代の初め、源融が造営した「河原院」という別荘に由来します。源融は瀬戸内から海水を都に運ばせ、かまで塩水を熱して生じる塩の香りを楽しむという風流なたしなみを好んだという話です。東本願寺飛び地の「渉成園」には「塩竃の手水鉢」が伝わり、また海水を運ばせたのが「塩小路通」という説もあります。答は【2】。
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