木津川の中流域の上狛地区は、南都と京都の間にある陸運の要衝であり、また船が行き来した水運の栄えたエリアでした。明治維新の際、新政府は外国との貿易を活発にするため、山城の上質の茶をメイド・イン・ジャパンの有力商品としたのです。明治のころの上狛浜は茶箱を積んだ船が木津川を絶えず往来し、その様子は神戸のようだったといわれています。答えは【2】。
【出題者】
京都産業大学 日本文化研究所 宣京師 小嶋一郎さん
京都産業大学 日本文化研究所 宣京師 小嶋一郎さん
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木津川の中流域の上狛地区は、南都と京都の間にある陸運の要衝であり、また船が行き来した水運の栄えたエリアでした。明治維新の際、新政府は外国との貿易を活発にするため、山城の上質の茶をメイド・イン・ジャパンの有力商品としたのです。明治のころの上狛浜は茶箱を積んだ船が木津川を絶えず往来し、その様子は神戸のようだったといわれています。答えは【2】。
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