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インタビュー

俳優 田村亮さん

1946年、京都市右京区生まれ。1966年、「暴れ豪右衛門」で映画デビュー。
以後、映画「赤穂城断絶」「蝉しぐれ」、ドラマ「春の坂道」「山村美紗サスペンス・狩矢父娘シリーズ」、
舞台「最後の忠臣蔵」「笑う門には福来たる~女興行師 吉本せい~」など幅広く活躍中

背伸びもしなければ、余計な頑張りもしない。

2世俳優、2世タレントと呼ばれる人々の活躍が注目されています。その草分けともいえるのが、日本映画史に名を残す俳優の阪東妻三郎さんの3人の息子。故田村高廣さん、田村正和さん、そして田村亮さんです。その田村亮さんが、今年70歳を迎えました。デビューから半世紀あまり、今なお輝き続けられる秘訣(ひけつ)は何か―。連日盛況だった大阪松竹座の舞台「笑う門には福来たる」に出演中の田村さんを尋ねました。



スッキリと伸びた背筋、歯切れのいい口跡。まるで年齢を感じさせない細身のジーンズ姿に、まず驚かされます。

田村さんの初めてのテレビ出演は、父・阪東妻三郎さん13回忌の追悼番組のドラマ「破れ太鼓」(NHK、1965年)、まだ高校生でした。「俳優になるつもりなんて、全くなかった」そうですが、「兄二人はすでにデビューしていたんですね。で、当時のプロデューサーが『もう一人の息子も出してみてはどうか』という話になったみたいです」。

ドラマ出演後、その″美少年ぶり”が注目を集めます。そして翌年、本格的俳優デビューを果たすことに。それから50年以上、常にメインキャストの位置を保ちつつ、俳優道を貫いています。2時間ドラマ「山村美紗サスペンス・狩矢父娘シリーズ」(テレビ朝日系)では、「狩矢警部役を演じて、もう16年になりますよ」。

俳優一家に育ったプレッシャーやストレスで悩んだことなど、なかったのでしょうか。

「ストレス? ないですね」と、あっさり。

「自然体でいようというのが、僕のコンセプトなんです。背伸びもしなければ、余計な頑張りもしない。何にも考えていないのね、きっと(笑)。だって、仕事が楽しいからね。もちろん大変なことも多いけれど、現場の空気が好きなんです。裏方さんや、出演者たちと冗談を言い合っていると、待ち時間だって楽しい。ほんとに幸せなことだと思いますね」

プライベートでは、長年続けているのが毎日のウオーキング。

「時間やコースは決めずにね。途中、公園のベンチで、ストレッチや腕立て伏せをしたりするんです。でも、雨の日や体調がよくないときは休みますよ。無理すると、歩くことがつらくなるでしょ? 何事も楽しまなくてはね」

京都は特別な街。癒やされる土地なんです

田村さんが7歳まで過ごした京都での一番の思い出は、父である″阪妻(ばんつま)〟さんの子煩悩ぶりだといいます。

「ふだん子どもと遊んでいないことへの名誉挽回かもしれないけど、子どもの日、お正月の餅つき、節分の豆まきなどは一生懸命、遊んでくれたんです。時々、きれいな芸妓(げいこ)さんも参加して、華やかで楽しくてね、よく覚えています」

また、父の他界後、東京に住まいを移してからも、京都は撮影で何度も訪れることに。

「京都駅に降りたとたん、癒やされるんですよね。なんていうか、母の羊水の中に入ったような感じになる」

そして、必ず訪れるのが「父も母も、高廣兄貴も、あそこで眠っている」という、二尊院。京都は特別な街なんですね。

“阪妻さん”の3世となる、長男の幸士さんも、俳優として活動し始めました。りりしい親子共演が見られる日が楽しみですね。

(文・あさかよしこ

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