神護寺の別院として建てられた槙尾山西明寺。こちらに入寺していたとされる空海の高弟・智泉は、高野山の創建などに力を尽くした後、若くしてこの世を去りました。本堂は徳川綱吉の母、桂昌院が江戸時代の前期に再建したという説があります。桂昌院は京で生まれ、また熱心な仏教徒であったため、各地に復興した堂塔伽藍(がらん)が今に伝わります。答は【3】。
【出題者】
京都産業大学 日本文化研究所 宣京師 小嶋一郎さん
京都産業大学 日本文化研究所 宣京師 小嶋一郎さん
()
神護寺の別院として建てられた槙尾山西明寺。こちらに入寺していたとされる空海の高弟・智泉は、高野山の創建などに力を尽くした後、若くしてこの世を去りました。本堂は徳川綱吉の母、桂昌院が江戸時代の前期に再建したという説があります。桂昌院は京で生まれ、また熱心な仏教徒であったため、各地に復興した堂塔伽藍(がらん)が今に伝わります。答は【3】。
()