「柿渋Houseみます」代表 三桝(みます)武男さん
「山城の柿渋をしっかりと次代に残していきたい」
岐阜の美濃、広島の備後と並んで、日本の三大柿渋産地に数えられる、京都の山城。三桝武男さん(84歳)は、〝新しい柿渋染”の製品を手掛けています。
柿渋は、しぶ柿の果汁を発酵・熟成させたもので、三桝さんは、木津川市で明治期から続く柿渋メーカーの3代目。10年前に「柿渋Houseみます」を立ち上げ、山城特産の伝統の「柿古渋」(液体)と、自らが開発した「顆粒(かりゅう)柿渋」で染め上げた寝具類を販売。昨年行われた「第9回文化ベンチャーコンペティション」(主催・京都府)で、京都リビング新聞社賞ほかを受賞しました。
山城の荒廃農地を増やしたくない
「古くから柿渋の原料となる天王柿の産地だった山城ですが、近年、作る農家が減ってきて、荒廃農地が目立つようになってきました。日本の三大柿渋の産地といわれた、ここ山城がそれではいけない、有耕地に転換する方法はないかと考えると、答えは簡単でした。柿渋の消費を増やすことなんです」
消費を増やす方法はないか。
「子どものころ、柿渋で染めたものは、なんでこんなに硬いんやろう?って、思っていたんですよ。だから、やわらかくて肌ざわりのいい柿渋染の製品ができれば」と、試行錯誤の末に開発されたのが、顆粒状の柿渋。これに熟成させた古渋を加えて使用すると「いままでにない、やわらかさと、爽やかさ、独特の風合いが生まれました」。
抗菌・防臭作用など、柿渋の優れた特徴を製品に生かすため、「柿渋・柿タンニン研究会」を発足し、大学の教授たちと学術的にも研究中。
「地元の特産を、伝統を、なんとか次代に残したい―」。20代から柿渋一筋の三桝さんの願いが、形となって動いています。
(文・山舗恵子 )