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インタビュー

絵師 木村英輝さん

1942年大阪府生まれ。堀川高校、京都市立美術大学図案科卒業。
「繪舞台 琳派ロック」は、12月15日(火)・16日(水)の午後2時~、7時~。
府民ホールアルティで。当日一般5000円、中学生以上の学生4000円。
問い合わせは、キーヤンスタジオ祇園本店=TEL:075 (746)3777=へ。

「ずっと引っ掛かっていたものを吐き出したい」

その独特の画風の壁画が、国内外の150カ所をこえる場所で目にす る“絵師”きーやんこと、木村英輝(ひでき)さん。1969年に日本初のロックフェスティバル「TOO MUCH」を企画して以来、数々のイベントを仕掛けるロックプロデューサーとして活躍した木村さんが絵師として活動し始めたのは、還暦を目前にしたころでした。そして、70歳を超えた彼はいま、再び新しいロックイベントを仕掛けています。



自らを“泉州産京都人”という、木村さんは大阪出身。高校2年で堀川高校に転校、以来55年、美術大学の講師、ロックプロデューサー、絵師と活動内容は変わりますが、いずれも京都を拠点に活動してきました。

美術大学の講師をしていた1960年代後半、いわゆる全共闘時代に浮足立つ教え子たちを見て「美術系の俺らは文化的な革命を」と、企画したのが、日本初といわれるロックイベント「TOO MUCH(ツーマッチ)」。これを機に、内田裕也さんのロックコンサートやギタリストのジェフ・ベックさんを招へいしたワールドロックフェスティバルなど企画する、ロックプロデューサーに転身。

「40年近くロックのイベントをやってきたけど“やりつくした感”というのはなかった。絵を描き始めてからもずっと、のどに何かが引っ掛かっているような、気持ち悪さが残っていた。心残りがあったんや」

その、引っ掛かっている何かを取るために、木村さんは、いま再びロックプロデューサーとして動き始めました。きっかけとなったは、今年京都のあちこちで耳にした“琳派400年”。江戸時代に活躍した絵師・俵屋宗達に端を発する、琳派の400年を記念したさまざまな催し。

「琳派やいうて、なんや技や匠(たくみ)を商売にしているみたいで、あんまり好きやなかった。せやから、最初はちょっとななめに見てた。それが『きーやんこそ、現代の琳派や』ていわれることがあって、調べてみたら、武家の権力にとらわれない、師弟関係もない自由な絵師と、目利きの旦那衆から生まれた芸術とわかって、逆にかっこええて思えてきた。それから、とことんかかわることにした」

ジャパンロックを世界へ。一大ステージ絵巻を展開

こうして木村さんは、12月15日(火)・16日(水)の「繪舞台 琳派ロック」をプロデュース。

自身の描く、幅9.4m、高さ3mの一大絵巻を背景に、「尺八の三好宗山さんなどの邦楽、マイケルダンスパフォーマーのマサキさんのパフォーマンス、そして、かつて沢田研二や萩原健一、井上尭之、大野克己らが一つのバンドとして活動していたときの名曲『花・太陽・雨』を、シャンソン歌手のワサブローさん、ジャズシンガーのヤミーさんのボーカルで。なにが起こるかわからない、全く新しい“ロックステージ”です。シンプルでストレートに、そして自由に―。日本のロックを、日本の文化として世界に通じるものにしたい」。

「のどに引っ掛かった物をスッキリさせる」というこのイベント。

「2020年、東京オリンピックに訪れる外国人たちに、本物のジャパンロックを聴かせたい。これは、その第一歩なんです」

(文・山舗恵子

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