漱石をはじめ、吉井勇、谷崎潤一郎など文壇の第一人者たちと幅広く交流していたのは、祇園「大友(だいとも)」の女将、磯田多佳。漱石の最後の京都旅行では、北野天満宮への案内を頼んだのに、約束を果たしてもらえなかったことを残念に思っていたようで、その時の心境を、彼は宿で句「春の川を 隔てて 男女かな」 にしたためました。現在、御池大橋にその句碑がたっています。答は【3】。
【出題者】
京都産業大学 日本文化研究所 宣京師 小嶋一郎さん
京都産業大学 日本文化研究所 宣京師 小嶋一郎さん
()
漱石をはじめ、吉井勇、谷崎潤一郎など文壇の第一人者たちと幅広く交流していたのは、祇園「大友(だいとも)」の女将、磯田多佳。漱石の最後の京都旅行では、北野天満宮への案内を頼んだのに、約束を果たしてもらえなかったことを残念に思っていたようで、その時の心境を、彼は宿で句「春の川を 隔てて 男女かな」 にしたためました。現在、御池大橋にその句碑がたっています。答は【3】。
()