後に総理大臣となった、西園寺公望が私塾「立命館」を開いたのが明治2年。わずか1年ほどで閉鎖を余儀なくされましたが、秘書であった中川小十郎がその意志を継ぎ、京都法政学校として鴨川のほとり、東三本木の清輝楼を間借りしてスタートさせました。その後、広小路に学舎を移し、今では衣笠や草津、茨木に広大なキャンパスを構えるマンモス大学となりました。答は【3】。
【出題者】
京都産業大学 日本文化研究所 宣京師 小嶋一郎さん
京都産業大学 日本文化研究所 宣京師 小嶋一郎さん
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後に総理大臣となった、西園寺公望が私塾「立命館」を開いたのが明治2年。わずか1年ほどで閉鎖を余儀なくされましたが、秘書であった中川小十郎がその意志を継ぎ、京都法政学校として鴨川のほとり、東三本木の清輝楼を間借りしてスタートさせました。その後、広小路に学舎を移し、今では衣笠や草津、茨木に広大なキャンパスを構えるマンモス大学となりました。答は【3】。
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