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インタビュー

プロスキーヤー 三浦雄一郎さん

1932年、青森市生まれ。プロスキーヤー、クラーク記念国際高等学校校長。1964年、スキーで直滑降のスピードを競う「イタリア・キロメーターランセ」に日本人としてはじめて参加し、当時の世界新記録を樹立(時速172.084km)。1966年、富士山を直滑降。1985年、世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。11月22日、藤井大丸で開催されたザ・ノース・フェイス アスリート トーク シリーズ「三浦雄一郎氏トークショー」に登場

「エベレストに登りたい」好きな道を進んでメタボも克服

ヒマラヤ山脈に位置する世界最高峰「エベレスト」(8848m)。今年5月23日、三浦雄一郎さんが80歳で登頂に成功したというニュースを覚えている人は、多いのではないでしょうか。当時70歳だった2003年、75歳の2008年に続いて、自身が樹立した世界最高年齢登頂記録をまたも更新。三浦さんが、年を重ねるほどに輝きを増す秘密とは?



『年寄り半日仕事』で体力温存。老いも若きも“急がば回れ”
「一時は、身長164cmで体重は90kg近くあるという、立派な“メタボ体形”でした」

ハードなトレーニングを積み、世界七大陸最高峰のスキー滑降を成し遂げたのが53歳のとき。その後、講演活動や著作の執筆などの仕事に追われ不摂生な生活を続けたところ、還暦のころには、メタボリック症候群に陥っていたのだとか。「持病の狭心症の発作で苦しむこともしばしば。もう、山登りは無理ではないかと感じていました」

そんな三浦さんを、「エベレストに登りたい」という、憧れにも似た強い思いが突き動かします。

再び始めたトレーニングは、散歩からスタート。ただし、足首に1kgずつ、背中に5~10kgの重りを装着。

「当初は標高500mの山も無理な状態でしたが、半年ぐらいで富士山に登れるようになったんですよ」

体にかける負荷を少しずつ増やしていった結果、骨密度が上昇し、衰えていた筋肉も復活。総合的にみると、三浦さんの体力は5年で40代のレベルにまで向上していったそう。

「年をとるほど、何事も守りに入ることが多いと思います。ラジオ体操や散歩など、体力を維持するための運動は“守る健康法”といえます。山登りは、気楽に取り組めるといってもけっこうな運動量になるので、体力を上げるためのトレーニングが必要。僕はこれを“攻める健康法”と呼んでいます」

まずは散歩から、半年で富士山へ。“攻める健康法”で40代の体力に
トレーニングで鍛えられない心臓は、最終的に手術で克服しました。術後約2カ月たった今年3月、80歳の三浦さんはエベレストに向けて出発。

今回の登頂は、これまでの倍近い時間をかける行程を考えたのだそう。「午前中に登って、昼にはその日の目的地に到着。午後は食事や読書など休憩に時間を費やし、翌朝に再び登り出すという具合に、ゆっくりと体を休めることを大切にしました。一日の行動はこれまでの半日分。術後のリハビリと足腰のトレーニングも兼ねていました」

ネパール・カトマンズから標高5300mのベースキャンプに到着したとき、三浦さんをはじめ遠征隊のメンバー全員が高山病にかからず元気いっぱい。その体調が、頂上8848mへのアタックまで続いたのだとか。

「『年寄り半日仕事』が登頂成功の秘訣(ひけつ)でした」と振り返る三浦さん。年齢を重ねた人ならではの発想と、好きな道を進む強い意志を感じました。

(文・稲田千春 取材協力:ゴールドウイン 

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