ホーム > > インタビュー

インタビュー

漫才師 宮川花子さん

1955年生まれ、大阪市出身。81年に宮川大助とコンビを組み、
「上方お笑い大賞」大賞(90年)、文化庁芸術選奨「文部科学大臣賞」(2011年)など数々の賞を受賞。
今年、岩手県大船渡市が初めて制定する「おおふなと復興応援特別大使」に任命されることに。
5月27日(月)、6月4日(火)「よしもと祇園花月」(各午後0時30分~)に出演予定。
6月5日(水)午後6時30分~、なんばグランド花月で「澤田隆治プロデュース~平成名人劇場」で主演。
前売り、当日券とも3000円。

今から始めたらいいやん。もう一回、花咲かそ

50代からの人生をいきいきと過ごすための情報をお届けする特集「大人タノシ」。今回は、夫婦漫才で活躍する「宮川大助・花子」の花子さんにインタビュー。夫・大助さんとともに、東北の震災復興応援イベントを開催するなど精力的に活動しています。



「50代からを楽しもうて、ええ企画やなぁ」

ポツリとつぶやいた花子さんは、現在57歳。50代になって変わったことは「ひざが痛なったことかな(笑)」。

そう言いつつも「50歳過ぎてから、自分たちは漫才師やったんやって思い始めた」。

6年前脳出血で倒れた夫・大助さんの復帰後は、大助さんの体調を考えつつ仕事を入れるようにしているそうで、「自分たちのことだけ考えて、夢中で走っていたときはわからへんかったけど、いまの若い子たちの漫才を見る機会が増えたからかな。我々が師匠に教わってきたこと、漫才の大切なこと、残していくべきことをきちんと後輩に教えていったらなあかんなって」。

ただし、「伝えるからには、自分もちゃんと歩いていなあかん。自分が何もせんと座ってて、あれこれ言うても誰も聞かへんやろ。ゆっくりでもええねん、この年代に応じたペースで、でも一緒に歩いていることが大事」。


人の世話をするために長生きさせてもうてる

大助さんが倒れてから復帰までの間は、一人で舞台に立ち、リハビリにも付き添いました。

「みんな、介護されないための体づくりをしなあかんって、いいますやろ。そうやない。これからは、人に介護できる体をつくっておかなあかん。大助のリハビリのときは、自分のと彼のと水を2本持って歩きました。しんどいとか休みたいとか介護する方は、言うてられへんのです」

これからの高齢化社会、「人の世話するために長生きさせてもうてると思わな」。

大助さんが倒れるまでは、よく二人でホノルルマラソンにも出ていました。東日本大震災以降は、吉本ナショナルドリームスというマラソンチームを作って、事務所の若手たちといろいろなマラソン大会に出場。岩手県で行われている「いわて銀河100キロチャレンジマラソン」にも毎年参加しています。

「さすがにフルマラソンは無理やけど、この前は3キロ部門に出ました。78歳のおばあちゃんと一緒に走ったら、おばあちゃんのほうが元気やった(笑)。年とると、こんなんして何になるんやろとか、何もできるもんがないとかいう人いるけど、そんなん自分の財産をすり減らしているだけ。なんでもええから始めて、これから花咲かそうや」

(文・山舗恵子 

このページのトップへ