伏見区と宇治市の間を流れる宇治川に架かる「観月橋」ですが、その歴史は古く、鎌倉時代には「指月(しげつ)橋」あるいは「桂橋」と呼ばれていました。また豊臣秀吉による伏見大改造の折には、豊後の大友氏にこの橋の修築を命じたため「豊後橋」という名で呼ばれ、明治6年(1873)に橋が再建されてから「観月橋」という名で呼ばれるようになりました。答は【2】
【出題者】
京都産業大学 日本文化研究所 宣京師 小嶋一郎さん
京都産業大学 日本文化研究所 宣京師 小嶋一郎さん
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伏見区と宇治市の間を流れる宇治川に架かる「観月橋」ですが、その歴史は古く、鎌倉時代には「指月(しげつ)橋」あるいは「桂橋」と呼ばれていました。また豊臣秀吉による伏見大改造の折には、豊後の大友氏にこの橋の修築を命じたため「豊後橋」という名で呼ばれ、明治6年(1873)に橋が再建されてから「観月橋」という名で呼ばれるようになりました。答は【2】
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