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インタビュー

妖怪創作家・妖怪文化研究家 河野隼也さん

1982年5月、京都生まれ。7月29日(日)「妖怪アートフリマモノノケ市」(大将軍八神社)、
8月4日(土)西院ミュージックフェスティバル「妖怪ライブ」(西院春日神社)を開催
撮影/橋本正樹 ※撮影協力/「cafe&bar cham」

「妖怪を通して、日本文化のおもしろさを伝えたい」

「小学校の図画工作の時間には妖怪の絵を描いていた」。そんな少年だった河野隼也さんは、今、京都に妖怪文化を広めようと活動中です



「妖怪ってエキセントリックで奇妙なものですが、どこか郷愁があるのが魅力なんです」。そう語る河野さんの背後には、自身が制作した「青坊主」が(写真)。

「この青坊主にしても、昔の人が作り上げたもの。古い日本っておもしろくないってイメージがあるかもしれませんが、こんな奇抜なものを作れる。もっと探せば、もっとおもしろいものが発見できるかもしれない。妖怪を通して、日本文化のおもしろさを発信していきたいんです」

実は、京都独自の妖怪もいるようで。

「例えば、一条戻り橋の下にいる式神、それから東洞院通を夜な夜な走っていたという輪入道。これは、輪っかの中が顔になっているという妖怪。ね、奇抜でしょ。学生のときは、こういった妖怪スポットによく行ってました。『おぉ、ここにいたのか!』って思うと楽しくなります(笑)」

「見守り機運を徐々に広げていこうかと」

河野さんは、多くの妖怪イベントにもかかわっています。「京都一条妖怪ストリート」や妖怪をテーマにしたフリーマーケット。5年前に始まった嵐電の「妖怪電車」は、仲間と作った妖怪部「百妖箱」が仕掛けています。

「妖怪電車を走らせたことで嵐電沿線の人たちは妖怪を温かく見守ってくれるようになりました(笑)。この機運を徐々に広めていこうかと」

京都嵯峨芸術大学大学院観光デザイン学科在籍中から、妖怪を観光利用できないかと模索していた河野さん。「外国に日本の文化を広めるためのキャラクターにしてもおもしろいと思うんです」

(文・内山土子)

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