今年の祇園祭を、感慨深く迎える人々がいます。
復活・復興に関わってきたみなさんに、今の思いや、見どころを聞きました。
「後祭は、にぎやかな前祭と異なり、静かなお祭りという印象でした」と、子どものころの思い出を話す「黒主山保存会」前理事長の大田正樹さん。大田さんは、後祭を構成する山鉾町で結成された「後祭十ケ町打ち合わせ会」の担当理事も務めています。
「後祭は曳山(ひきやま)や舁山(かきやま)などの山が多く、地味に思われがち。昨年までの合同巡行では、私たちの順番になると観覧席がガラガラだったことも。そんな状況もあり、分離となると『人出が少なくなるのでは?』と心配する声もありました」
そこで同会では、後祭ならではの趣や楽しみをつくり出すべく協議。「後祭の山鉾も、ぜいを凝らした意匠のものが多く、見応えがあるんですよ。ぜひゆっくりと見て回ってください」
7月21日(祝・月)〜23日(水)には、各山鉾の朱印を集める「後祭十ケ町ご利益巡り」が実施されます(午後1時から9時まで)。同期間中、山鉾の解説スタッフの配置もあるとのこと。
「今年は、後祭の心意気の見せどころ! 誇りを持って後祭に取り組んできた先人たちにも、いい報告ができるような祭りにしていきたいです」
1864年の焼失から150年。かつて後祭の最後尾を飾っていた「大船鉾」が復興され、巡行に復活します。
「ようやく、ここまでたどり着いた。 “感無量”の一言に尽きます」と、「四条町大船鉾保存会」理事長・松居米三さん。
実現には「“人とのつながり”が大きな力となった」と言います。
鉾本体の部品のいくつかは、「菊水鉾」「黒主山」をはじめ、京都市の団体などが寄贈。「歴史にのこる仕事をさせてもらえる」と、材料費のみで協力する職人もいたのだそうです。
また、公募で集まったはやし方メンバーの多くは、保存会の役員としても活動。「若い世代が町外からも集まり、町衆の減少や高齢化といった復興への課題を解消してくれました」
はやし方代表の吉井さんは「山鉾町外で生まれ育ったメンバーにとって、はやし方は憧れの存在。そろいの浴衣を着て、演奏するだけで満足と思っていましたが、まさか鉾に乗って演奏できるとは。メンバーからは『思いがかなった』との声も。巡行当日は、恥ずかしくないおはやしを披露したい」。
松居さんが「人の“和”の結晶」と言う大船鉾の巡行が楽しみですね。
躍動感あふれる曲線、力強く大胆な直線ー。大船鉾の裾幕と音頭取りの衣装をデザイン・制作したのは京都市立芸術大学の学生たちです。授業の一環として、学生8人が手がけました。
担当教員の吉田雅子さんによると「文献の記録では、色は白に紺、デザインは青海波という文様が基本。伝統を尊重しながらも、〝今に生きる〟デザインを課題としました」とのこと。
「動いたときや遠目にも見映えするよう配慮。大船鉾のみなさんの意見も聞き、改良を重ねていきました」と、衣装を担当した西田千紗さん。
その結果、「素晴らしいものを作ってもらった」と喜ばれたそう。
「多くの人とさまざまな技術によって伝統がつながっていると実感。そのつながりに関われたことに、感動と喜びでいっぱいです」(西田さん)
「鷹山」は1826年の災害で大部分を破損して以来、〝休み山〟として、残された懸装品を飾る「居祭(いまつり)」を継承しています。
「幼な心に『うちの町には、なんで山鉾がないんや』と。山鉾のはやし方はみんなのヒーローでしたから(笑)」
そう話す山田純司さんは、復興を目指す町内外の有志と「鷹山の歴史と未来を語る会」を結成。2年前から勉強会やおはやしの復活などに取り組み、今年の祇園祭でははやし方の公開練習会と笛の奏者・藤舎名生(とうしゃめいしょう)さんの演奏会を行うことに。
「町内のマンション住民の方や、専門学校の生徒さん、近隣の町の方、ほかの山鉾の方々、行政や市民…。みなさんのお力をお借りできたらありがたいです」
焼失から200年後の2026年を復興の目安に、という山田さん。「環境が整えば、早まる可能性も。今年はスタートラインに立ったところです」
公開練習会は7月15日(火)午後7時〜。「ちおん舎」(中京区衣棚通三条上ル)にて。見学料は1000円。申し込みは山田さんまで、メール()にて。先着50人。