水に関わる地名の由来

2026年7月31日 

リビング編集部

8月1日は「水の日」。今回は、〝水〟と関わりがある地名の由来を探りました。調べると、その地で語り継がれていた伝説や町の歴史が見えてきましたよ。

撮影/桂伸也ほか

村人を救った、鳴り響く滝の音

7月のある日、記者は市バス「三宝寺」停でバスを降りました。ここは、嵐電「宇多野」駅そばの福王子の交差点から高尾方面に500mほど進んだ場所。この辺り一帯が「鳴滝」です。

訪れたのは、歩いていると汗が噴き出すほど暑い日でしたが、滝のそばはひんやり。水音とあいまって、涼しさを感じました

福王子方面へ100mほど戻ると、右側に御室川に続く細い道を発見。水の流れ落ちる音がかすかに聞こえてきました。その音に導かれるように歩くと、しぶきを上げて流れる滝の姿が。これが、地名の由来となった滝。京都地名研究会の入江成治(しげはる)さんにその由来を教えてもらいました。

「昔、この地域に住んでいた人は、いつもと違う滝の音に異変を感じ、すぐに一家で避難しました。その直後、大洪水が起こり、村は大きな被害を受けたと伝えられています」。滝の音が鳴り響くように大きかったことから、鳴滝と名付けられたとか。「災害の予兆として、滝の音が神の声だと受け取った人がいたのですね」

滝の近くの喫茶店の店主からは、こんな話を聞くことができました。「鳴滝に住んで70年ほど経ちますが、御室川が氾濫しているところは見たことがありません。今も滝の神様に守られているのかもしれませんね」

10段ほどある階段を下まで降りてみた記者。勢いよく流れ落ちる水の音が迫力を増します。この音が〝鳴り響く〟ようだったとは。想像をしながら、しばらく滝を眺めていました。

同じ名前の六つの地域にあったのは〝魚市場〟

御所西側の上京区東魚屋(うおや)町。錦小路通、おおよそ高倉通から富小路通には中京区西魚屋町・中魚屋町・東魚屋町。そして、地下鉄「五条」駅の南側の下京区東魚屋町・西魚屋町。

比較的近い場所に六つの魚屋町が存在。どんな理由があるのか気になりますよね。こちらの由来についても、入江さんに解説してもらいました。

時は江戸時代。上記三つのエリアに、幕府公認の「三店魚問屋(さんだなうおどんや)」という魚を売る特権が与えられたことで、魚市場として発展したそう。魚屋町という町名は、ここから付けられたと考えられているとか。

その後、明治時代に特権制度は廃止。上京区と下京区の魚市場は次第に姿を消しましたが、町名にはその名残をとどめています。

さて、中京区の魚市場はというと…。今も残っているんです!
それが現在の錦市場。錦市場で古くから続く店の店主は、存続できた背景に豊富な地下水があるのではと話します。

「魚の保存には水が欠かせません。ですので、特権のあるなしに関わらず、魚市場としてのポテンシャルがあったのではないでしょうか」

〝魚屋町〟には、やはり水が関わってくるのですね。

下京区西魚屋町・上京区東魚屋町の町名表示板。古くからの建物に残されていました
高倉通から見た錦市場

〝長い池〟には大蛇が住みついていました

JR「城陽」駅から奈良方面へひと駅の「長池」駅。この周辺が「長池」です。地名は、「かつて、新野池という細長い池があったことに由来します」とは、長池まちづくり協議会の生駒尚子さん。生駒さんによると、池は現在の駅がある辺りを中心に広がっていたとのこと。雨などにより砂や小石が運ばれたことで次第に埋まっていき、最終的に消失したのだとか。

JR「長池」駅北口の様子。「駅前もかつては池の一部だったんです」と呉服店の男性

地元で呉服店を営む男性は、「60年くらい前は、まだ池が少し残っていたんですよ。魚釣りをしていたこともありましたね」と懐かしそうに話します。

生駒さんは、新野池にまつわる伝説も教えてくれました。江戸時代に書かれた「山州名跡志(さんしゅうめいせきし)」に記されているものです。

「昔、池には大蛇が住みついて人々を困らせていました。そこへ刀を持った人物が現れて大蛇を退治。尾から現れた立派な剣を神社に奉納したところ、大蛇は現れなくなったということです」

JR「長池」駅前の時計塔は、この伝説に出てくる剣をイメージしているそうですよ。

駅前の時計塔。剣が空に向かって振り上げられたようにも見えますね

今回の特集のためにリサーチをしていると、「水」「海」という漢字が付く町名に出あいました。その由来を探ると、実は水には無関係…。ですが、興味深い由来だったので読者の皆さんに紹介します !

軍師・黒田官兵衛が屋敷を構えていた場所

一条堀川を西へ。上京区にある「如水(にょすい)町」の名前は、「豊臣秀吉の軍師として活躍していた黒田官兵衛に由来しています」と入江さん。黒田官兵衛は出家後に〝黒田如水(じょすい)〟と名乗り、豊臣秀吉の邸宅の近くに屋敷を構えていたのだとか。そこから如水町と呼ばれるようになったと伝えられているそうです。

 ここで、一つの疑問が。なぜ町名は〝じょすい〟ではないのでしょうか。入江さんは「京都では、だく音を避ける傾向があるためかもしれません」と話します。

 現在、屋敷跡には住宅と住宅の間にひっそりと碑が立っています。

黒田如水屋敷跡の碑。長年住む人たちに話を聞くと、ほとんどの人が黒田如水の屋敷があったことを知っていました

軍海の道ではなく、集落を意味しています

向日市物集女(もずめ)町に「中海道(なかかいどう)」「御所海道(ごしょかいどう)」という地名を発見。「海の道とは?」。記者が調べてみると、この〝海道〟は海の道という意味ではなく、集落を表すのだとか。古くからの集落のあるところは「垣内(かいと)」と呼ばれることが多く、その発音に〝海〟と〝道〟の漢字を当てたとされます。

 では、〝中〟と〝御所〟にはどんな意味があるのでしょうか。中海道は物集女町の中心に位置していたことから、御所海道は物集女城の近くだったことから呼ばれたのかもしれません。物集女城は、地域の有力者である物集女氏が住んでいた場所だったそう。今は城の姿はありませんが、物集女城跡として残っています。

上から見た物集女城跡。約70m四方の広さだと言われています ※写真提供/京都府向日市教育委員会

ちなみに、東海道の場合。この海道は、漢字の通り〝海に沿った道〟を表すそう。地名を見た時にどんな意味を指すのか、想像するのも楽しいですね。


地名の由来を探るにあたり、町を歩き回りながら地域の人に話を聞きました。由来以外にも「昔使われていた井戸が今も残っている」「この辺りには、名字に〝水〟が付く人が多い」など興味深い話も。「この人に聞くと何か教えてくれるかも」と紹介してもらうことも度々。さまざまな出会いがあった取材でした。
突然声をかけたのにも関わらず、快く話をして下さった皆さん、ありがとうございました!


(2026年8月1日号より)