生誕500年 京都・千利休ゆかりの地へ

2022年1月21日 

リビング編集部

2022年は千利休生誕500年を迎える年。織田信長や豊臣秀吉に重用され、わび茶を大成させた人物として知られています。その足跡をたどり、ゆかりの地を訪ねましょう。※いわれには諸説あります

撮影/桂伸也(大仙院、瑞峯院、柳の水、若村さん)

功績を残し、切腹の理由にもなった大徳寺

千利休画像 喜多武清画 画像
提供 堺市博物館 

茶道千家の始祖・千利休は1522年、堺の商家に生まれました。「堺商人と縁が深かったのが大徳寺。利休の禅の師・古渓宗陳(こけいそうちん)は、大徳寺の僧でした」とは、京都に関する講演を行う「らくたび」の若村亮さん。「応仁の乱で焼けた大徳寺山門の上層部は、利休の寄進によって再建。こちらに利休の木像が置かれました。山門を通った秀吉は、木像が頭上にあると知り激怒。利休に切腹を命じる一因になったと伝えられています」輝かしい功績と死の理由、両方の舞台となったのが大徳寺なのです。

<大徳寺大仙院>
秀吉をもてなした茶室と枯山水の庭

古渓宗陳が住職を務めた「大徳寺大仙院」。「国宝に指定されている方丈の一角にある茶室で、利休が秀吉に茶を振る舞ったと伝わります」と若村さん。茶室の前に広がるのは、特別名勝の枯山水。数々の岩と白砂が形づくる世界は、作庭当時のままの姿だそう。利休と秀吉も楽しんだ風景に出あえますよ。

■北区紫野大徳寺町54-1、☎075(491)8346
午前9時〜午後4時30分。拝観料400円
https://daisen-in.net/

<大徳寺聚光院>
菩提寺には狩野永徳の下絵を基にしたという庭が

「百積の庭」

利休が作庭したといわれる「百積の庭」や、表千家ゆかりの茶室「閑隠席」「桝床席」が見どころ。利休と、その流れをくむ三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)の菩提(ぼだい)寺「大徳寺聚光院」が、「京の冬の旅」で特別公開されます。「百積の庭」の下絵を描いたといわれる狩野永徳と、その父・松栄が手掛けた方丈の障壁画(複製)にも注目を。

「第56回 京の冬の旅」
〈住所〉北区紫野大徳寺町58
〈日程〉3月18日(金)まで ※1月27日(木)・28日(金)、2月2日(水)・27日(日)・28日(月)、3月9日(水)は拝観休止
〈時間〉午前10時~午後4時30分(4時受け付け終了)
〈料金〉中学生以上800円、小学生400円
※拝観は「京の冬の旅」のホームページでの予約優先
〈問い合わせ〉京都市観光協会=☎075(213)1717=へ
https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=5634

<大徳寺瑞峯院>
400年忌の際に復元された「平成待庵」

無駄をそぎ落とした簡素な2畳の茶室―。利休が造った「妙喜庵 待庵」の写し「平成待庵」が「大徳寺瑞峯院」にあります(見学予約制)。「1990年、利休400年忌の際に復元。当時の図面を基に、大工道具もその時代のものにこだわり、くぎを使わず建てられています」とは、住職の前田継道さん。中に入り見学可。心静かに座り、利休好みの茶室を体感してみては。

■北区紫野大徳寺町81、☎075(491)1454
午前9時~午後5時。大人400円
※「平成待庵」の見学は1500円、要予約


<北野 天満宮>
秀吉が開いた「北野大茶湯」をプロデュース

北野大茶湯図 浮田一蕙筆(北野天満宮所蔵)

庶民も大名も、一緒に茶会を。1587年に開かれた異例の催しが「北野大茶湯」。秀吉が主催し、千利休がプロデュースを任されました。
その舞台は「北野天満宮」。「800席~1500席が用意され、参加者はくじ引きで秀吉、利休、津田宗及、今井宗久の茶席に分けられたそうです。拝殿には組み立て式の〝黄金の茶室〟が置かれました」と、北野天満宮総務部の堀川雄矢さん。
茶会の際に秀吉が使ったという「太閤井戸」は、今も敷地内の駐車場に。

「境内に紙屋川が流れているように、北野は昔から清らかな地下水脈がある土地。また、出雲阿国が初めてかぶき踊りを上演するなど、文化芸能の発信地でもありました。このことも、会場として選ばれた理由ではと思います」
華やかな茶会の様子を伝えているのが、江戸時代後期に描かれた「北野大茶湯図」。利休の手腕の見せどころでもあった茶会は、天下人・秀吉の権勢を世に広く示すことになったようです。

駐車場内にある「北野大茶湯之址」の石碑

■上京区馬喰町、☎075(461)0005
午前6時30分~ 午後5時
https://kitanotenmangu.or.jp/

<柳の水>
人々に愛される名水が黒染め工場に

黒染め工場「馬場染工業」(中京区)敷地内の細い通路を進むと…、そこには利休が茶の湯に使った名水「柳の水」が。「井戸に直接日が当たらないよう、利休が近くに柳を植えたとの伝説も残っています」と若村さん。同社の馬場麻紀さんによると「料理人さんなど地域の方が、井戸跡横の蛇口から出る地下水をくみに来るんですよ」。今も名水として親しまれているのですね。

■中京区西洞院通三条下ル柳水町75、☎075(221)4759(馬場染工業)
午前9時~午後5時、土日祝休
https://www.black-silk.com/contents/category/yanagi/

<晴明神社>
聚楽第内にあった最後の屋敷

「晴明神社」二の鳥居の横に立つ「千利休居士聚楽屋敷 趾」と書かれた石碑。「秀吉が造営した聚楽第内だったこの場所に、利休の最後の屋敷がありました。境内の『晴明井』の水は利休が茶をたてるのに使ったとされています」(若村さん)

■上京区晴明町806、☎075(441)6460
午前9時~午後5時
https://www.seimeijinja.jp/

<一条戻橋>
屋敷近くでさらされた首を持ち去ったのは…

1591年、秀吉から突然切腹を命じられた利休。今の晴明神社にあった屋敷からすぐの「一条戻橋」に首がさらされました。「一説に、その首を大徳寺大仙院の古渓宗陳がひそかに持ち帰り、手厚く供養したと伝えられています」(若村さん)

■上京区堀川下之町

<妙喜庵待庵>
合戦中の秀吉を癒やした茶室が現存

大山崎町にある国宝「妙喜庵 待庵」は唯一現存する、利休作とされる茶室。明智光秀との天下分け目の戦い・山崎合戦の際、秀吉が陣中に利休を招き、この2畳の茶室を造らせたといいます。現在は拝観休止中。拝観再開日は未定。

■大山崎町竜光56、☎075(956)0103
http://www.eonet.ne.jp/~myoukian-no2/

教えてくれたのは

らくたび
代表取締役 若村亮さん

http://rakutabi.com/

京都の歴史・文化についての講座の講師として活躍。リビングカルチャー倶楽部の講座も担当。「利休は大徳寺の僧・古渓宗陳から『不審花開今日春』という言葉を授かりました。これが表千家の茶室『不審菴』、裏千家の『今日庵』の由来となっています」

利休の思いは後世にも

利休のことをより深く知るなら、茶の湯に関わる道具や史料を見るのも一つ。資料館や美術館を訪ねてみませんか。

<茶道資料館>
孫・宗旦ゆかりの茶室が見どころ

茶室「又隠」の写し

裏千家が運営する「茶道(ちゃどう)資料館」。茶の湯に関する企画展が開かれ、茶わんなどの茶道具や美術工芸品、文献史料などが展示されています。2階で見られるのが、茶室「又隠(ゆういん)」の写し。利休の孫・宗旦が2度目の隠居の際に建てたことから、その名が付けられたといいます。4月10日(日)までの企画展は「やきもの巡り②大阪・兵庫編」。一般700円。会期中は大阪・兵庫にちなんだ和菓子・茶わんでの呈茶が行われます(有料)。また、茶道関連の資料を収蔵する図書館「今日庵文庫」も併設。

■上京区堀川通寺之内上ル寺之内竪町682、 ☎ 075(431)6474
午前9時30分~午後4時30分、月休(祝は開館、翌日休館)。予約優先
http://www.urasenke.or.jp/textc/gallery/

<樂美術館>
わび茶の理想にかなう、当時最先端の茶わん

五代 宗入 黒樂茶碗 銘 亀毛 如心斎書付

簡素で自然な味わいの「樂(らく)焼」。利休が「わび茶の理想にかなうように」と求めて作らせたのが始まりです。樂家初代・長次郎から当代の16代まで、約450年にわたる「樂焼」を所蔵する「樂美術館」。「当初は『今焼』と呼ばれたように、長次郎は最先端の茶わんを完成させました。聚楽第付近の土を用いたことから『聚楽焼』ともいわれ、のちに『樂焼』に。各時代の空気が感じられる作品が生まれ続けています」と、学芸員の稲垣裕美子さん。4月24日(日)までは企画展「新春展 瑞獣がくる―樂歴代のふしぎなどうぶつたち―」を開催。一般1000円。

■上京区油小路通一条下ル油橋詰町87-1、 ☎075(414)0304
午前10時~午後4時30分、月休(祝は開館)
https://www.raku-yaki.or.jp/museum/

(2022年1月22日号より)