日本一走るパティシエ 堀口明裕さん
こんがり焼けた肌がいかにもランナーという印象の堀口明裕さんは、自称・日本一走るパティシエ。
「世の中に僕より走る人はたくさんいると思うんですけど、パティシエの中だったら1番かなと思って(笑)。同じ仕事をする人に、趣味を楽しむ参考にしてもらえたら」
ただ走るだけではなく、大会への出場経験も数多い堀口さん。しかも中心は、100キロマラソン!
「最初はハーフマラソンからスタートしたんですが、マラソンブームの影響で、エントリーをしても抽選に当たらず出場できないことが増えたんです」
そこで方向転換。エントリーの少ない100キロマラソンにトライすることにしたのだそう。
2015年には、1年間に7回出場したことも。ということは1、2カ月に1回は大会に出ていたということですね。100キロマラソンは11時間以上走り続ける過酷なレースです。仕事に影響はないんでしょうか。
「実は大会があるときは店を休むことも。お客さんからは、『また仕事休んで走ってるの?』とからかわれるんですが」
そこまでして走る理由とは…。
「走ることは仕事にもいい影響を与えていると思っているからです。自信とは〝自分を信じる〟と書きますよね。マラソンは自分と向き合うこと。その積み重ねが自分を信じる糧となり、自信となり、仕事つまり人生を前向きに楽しめるんです」
次の100キロマラソンは9月。その大会に向けて、仕事の前後、毎日走り込んでいるそうですよ。
家紋研究家 森本勇矢さん
家紋研究家を名乗る森本勇矢さんの本職は、染色補正師。染色補正とは染色工程で起こった難を元通りに修復する仕事で、紋入れ加工にも携わることが多いといいます。
2006年、父・景一さんが「得意先に配りたいから」と紋にまつわるチラシを作成。それを見た森本さんは、せっかくならと冊子作りを提案しました。女性だけが使う〝女紋(おんなもん)〟という関西特有の紋文化をまとめた一冊を完成させたそう。
これがきっかけとなり、紋の世界に引き込まれていったという森本さん。その森本さんが、紋を調べる際に足を運ぶ場所があります。それは、墓地。墓と紋。なんだか意外ですが。
「〝家〟つまり〝家系〟を文字にしたのが苗字であり、形にして現したものが家紋です。本来なら苗字と家紋は対になるはずですが、墓を見るとそうなっていないことも多いんです。それを調べています。墓には、まだ知られていない家紋が眠っていることもあるんですよ」
家紋が一つ見つかると、それに関連する疑問や謎も出てきます。それらを解き明かす楽しさも家紋研究の魅力なのだとか。
その一方で、徐々に家紋文化が失われつつある現状に危機感を抱いているとも話します。
「これからは研究するだけではなく、伝えていかなければいけないと考えています。もしかすると私のこれからの役目は、〝家紋伝道師〟なのかもしれません」
廃河川探検家 玉川典子さん
廃河川(はいかせん)を探検。なんだか興味をそそる響きですね。
そもそも廃河川とは、以前は川だった場所のこと。京都市内にも数多くあるそうですが、廃河川探検家の玉川典子さんが案内してくれたのは高倉塩小路の交差点を東に進んだ所にある旧高瀬川。この場所を選んだ理由は、「初心者にも分かりやすいから」(玉川さん)。
その初心者向けの廃河川を訪れた記者。ごくありふれた風景を見渡すと、あ、「塩小路橋」と書かれた親柱が。ということは、この道の下に川が流れていたのでしょうか。
「そうです。ここがかつての高瀬川。水運が盛んで、物資を乗せた多くの高瀬舟が行き来していたんです。今は、高瀬川旧流路と呼んでいます」と玉川さん。
2003年ごろ、河原町通延伸のため、旧流路は廃河川となりましたが、川の面影を十分に感じます。これが初心者向けの理由なんですね。
「完全に埋め立てられて片りんを残していない場所もありますからね。いずれにしても、見慣れた風景の中に廃河川はあるんです。当たり前すぎて気にしていなかった場所にロマンが眠っているんですよ」
玉川さんにとって史料と航空写真を片手に、現場に足を運ぶのは何よりの楽しみ。古地図と現在の風景をリンクさせ、かつての情景を想像することが醍醐味(だいごみ)なのだとか。先ほどの橋の名残の親柱や、船を留めておく〝船留め石〟、水量調整を行っていた水路の跡などを見つけると思わず「キター!」と叫んでしまうそうですよ。
「9歳のときに実家の側にあった廃河川を見つけて以来、探検は続いています」と玉川さん。これからの目標は、未発見の河川跡を探していくことです。